普天間基地移設問題の前哨戦、「亀井案丸呑み」の背景、(民主党連立政権の行方、その4)

 郵貯銀行の預金保障限度額をめぐる閣内対立は、昨日の閣僚懇談会において「亀井案丸呑み」ということで一応収拾された。鳩山首相が全閣僚の「一任」を取り付け、「即断即決」したのだという。本人は「首相としてのリーダーシップを発揮した」といっているらしいが、実情は必ずしもそうではないだろう。

 私は、今回の「亀井案丸呑み」の背景を、近く政府が方針決定を迫られている普天間基地移設問題への対応をめぐる「国民新党抱き込み」の布石だと見る。たとえ社民党の同意が得られなくても、少なくとも国民新党には平野官房長官が考えている「現実案」を呑んでもらい、連立政権の崩壊を食い止めるためだ。そしてそのための駈け引きや取り引きが、今回の「亀井案を呑むか、呑まないか」という一連の郵貯騒動の背景だったというわけだ。

鳩山首相は、これまで「アメリカの同意を取り付け、沖縄県民の理解を得るような案を見出す」といった夢物語を千年一日の如く繰り返してきた。だがこんな「矛盾」した解決方法は、世界中のどこを探しても見つかるはずがない。沖縄の基地機能をどうしても維持したいアメリカと、沖縄から基地機能をどうしても撤去したい県民との間で両者の「合意案」をつくることなど、どだい無理な話なのである。

したがって平野長官の「現実案」は、部分的に基地機能を県外に分散させて「県外移設の口実」をつくりながら、実質的には普天間基地機能を存続させて事態を乗り切ろうとする強硬策に落ち着かざるを得ない。この間の平野長官の一連の発言、すなわち「地元の民意を斟酌する必要はない」、「沖縄にとってアメリカの海兵隊は必要だ」といった内容は最初から最後までぶれていないし、鹿児島県徳之島に基地機能の一部移転工作を仕掛けるなどの行動も一貫している。

しかしよく考えてみれば、鳩山首相が口先だけの夢物語を語り、平野長官がアメリカの意を体して現実案を煮詰めるという政府の政治的役割分担は当然のことだ。一方では「沖縄に理解を示し、理想の解決を追い求める首相」といったソフトなイメージを振りまきながら、他方では「現実案」の持つ過酷な基地国家の現実を沖縄に押しつけるハードな悪役を平野長官が担う。そして最終的には、「理想論を追い求める鳩山首相が諸般の事情で苦渋の決断をせざるを得ない」といったシナリオで「現実案」を追認するのであろう。

 だがこの場合、鳩山政権の支持率低下や民主党政権への国民の失望感は免れないにしても、それが民主連立政権の崩壊に連動することだけはあくまでも避けなければならない。夏の参議院選挙が迫っているだけに、国民新党社民党がそろって連立政権から離脱するようなことになれば、「逆ねじれ国会」が再現しないとも限らないからである。

 昨日の閣僚懇談会が始まる前のニュースを見たが、席上の平野長官のはしゃぎぶりは尋常ではなかった。きっとその前の一連の根回し工作を通して、仙石・菅・岡田など反亀井派閣僚を説得し、「首相一任」を取り付けることに成功したからだろう。そしてそのときの説得材料が、「亀井案の丸呑みで国民新党普天間基地移設問題で政府案を呑む」ことであったことは想像に難くない。

 郵政民営化反対一本の国民新党からすれば、普天間基地問題の占める比重はもともとそれほど高くない。下地国対委員長がたまたま沖縄出身というだけだ。これまでの彼らの沖縄基地問題への対応をみると、一見、社民党と共同歩調をとっているようにも見えるが、それはすべて郵政問題への民主党の譲歩を引き出すための方便にすぎないのであって、政策的にみれば「どちらに転んでもいい」程度のことなのである。

 国民新党は「シングル・イッシュー」政党であるところに行動の本質がある。特定の政策課題を掲げて当該関係者の支持を得ることができれば、なんとか政党として生き残っていける程度の少数政党だから、包括的な政策論議や政策の整合性は必要がない。その「尻尾」程度の国民新党が、「胴体」の民主党を振り回しているように見えるのはなぜか。また、同じく「尻尾」程度の社民党が「胴体」の民主党を振り回すことができないのはなぜか。

本当のところは、「胴体」の民主党が「尻尾」の国民新党に振り回されているようなゼスチャーをしているだけのことだ。その前哨戦が今回の郵政騒動劇であり、普天間基地移設問題の序曲として奏でられたといえる。だが前奏曲の時間はそれほど長くない。第1楽章、第2楽章と組曲はこれから次々と展開していく。そのときに「尻尾」は「胴体」と一緒に動くのか、それとも「トカゲのしっぽ切り」に終わるのか。(つづく)