鳩山政権、「白猫」になれなかった「三毛猫」、(民主党連立政権の行方、その2)

 今日3月16日は、鳩山政権が誕生してから半年目に当たる。新聞各紙はいずれも特集記事を組み、マニフェスト実現のための財源不足、普天間基地移設問題の行き詰まり、政治とカネ疑惑の深まり、石川・小林議員の辞職問題の棚上げ、鳩山首相のリーダーシップ不足と小沢支配、そして歯止めのない内閣支持率の低下などが挙って取り上げられている。民主党にとってはいずれもが政権自体の存続にかかわる「頭の痛い話」だ。

 それと同時に、野党のなかにもさまざまな動きが現れている。まず自民党だが、こちらの方は最大野党であるにもかかわらず「百鬼夜行」の有様で、およそ政党としての体をなしていない。自民党政権の元閣僚たちがてんでバラバラに新党構想をぶち上げ、鳩山邦夫総務相は5月末までの新党結成を目途に単独離党した。同時に園田幹事長代理も役職を辞任したのだという。谷垣総裁の「みんなでやろうぜ!」という陳腐な呼びかけがどれほど空虚で中身のないものか、そのことが日に日に露わになっているのである。

 こんな全体状況を見るとき、日本の支配体制のグランドシナリオがいま根底から揺らいでいることを感じないわけにはいかない。1990年代半ばから実行に移されてきた支配層の「日本構造改造計画」にもとづく政界再編構想は、小泉元首相をキーパーソンにして新自由主義政権を立ち上げて自民党の抜本的体質改善を図り、その代替政党(代わりの受け皿)として民主党を育成することで「(保守)2大政党制」を樹立するというものだった。そしてこの政界再編構想は、読売・日経から朝日・毎日に至るまで総マスメディアの政治キャンペーンによって推進されてきた。もちろん読売・日経は自民党色、朝日・毎日は民主党色という多少の「色分け」はあったが。

 だが、戦後一貫して続いてきた自民党の体質改善は容易ではない。自民党はまず構造改革を推進する新自由主義グループと保守基盤を維持しようとする保守開発主義グループに分裂した。次に新自由主義グループは、構造改革急進派と漸進派に分かれた。また保守開発主義グループは、郵政問題をめぐって郵政民営派と反対派に分裂した。かくして「4つの自民党」は単独政党としての体をなさなくなり、郵政反対派の一部は「国民新党」を、構造改革急進派の一部は「みんなの党」を結成し、そしていま残された自民党の中から構造改革急進派の舛添元厚労相、漸進派の与謝野元金融財政相、保守開発主義グループの鳩山元総務相がそれぞれバラバラに新党結成に動いているのである。

 しかし複雑なのは自民党だけではない。自民党の代替政党として登場したはずの民主党はある意味では自民党以上に複雑だ。その象徴が小沢幹事長の存在だろう。今回の「政治とカネ」問題で、いまや民主党の中心部は旧来の「自民党以上に自民党的な利権体質」を持った集団であることが明らかになった。おまけに旧社会党系の日教組自治労の幹部が小沢執行部の中心メンバーに加わっているのだから、55年体制における「自社癒着構造」がそのまま再現されているかのような感じを国民が抱くのも無理はない。

 本来であれば、「(保守)2大政党制」は多少なりとも「毛色」が違わなければ機能しない。自民党(黒猫)が国民から見放された瞬間に、民主党(白猫)がその「代わりの受け皿」にならなければ、「政権交代」は機能しないからである。今回の民主党への政権交代は、あたかもそれが一瞬実現したかのように見えた。だからこそ朝日は事実上の「民主党機関紙」となって政権交代の大キャンペーンを張り、読売は途中から政権交代を容認して、民主党政権新自由主義路線を後押しする方向に転じたのである。

 しかしその後の事態の推移は、支配層のグランドデザインを大きく裏切るものだった。財界やマスメディアが総動員して描いた「日本改造シナリオ」は、それを演じる役者がいて、それに拍手喝采を送る観客がいてはじめて興業として成功する。たしかに「小泉劇場」のときは、観客は我を忘れて拍手喝采をした。だが劇場から外へ出た途端、観客は寒風にさらされて正気に返らざるを得なかった。次はいったい誰が「○○劇場」の演出を担当し、誰をキャスティングするのか。

 結論からいえば、「(保守)2大政党制」を機能させるためには、民主党を「白猫」に見せなければならない。だが現在の民主党は「三毛猫」そのものだ。小沢幹事長の「黒色」、鳩山首相の「灰色」、管・仙石・岡田各大臣の「茶色」が入れ混じり、肝心の「白色」がいったいどこに行ったのか全く分からない。これでは「黒猫」から「白猫」への政権交代劇を演出することは容易でない。(つづく)