東京地検特捜部は「正義の味方」か、「権力の狗」か、(検察審査会制度の波紋(2)、民主党連立政権の行方、その10)

 東京第5検察審査会の「起訴相当」の議決を受けて、東京地検特捜部が小沢民主党幹事長の事情聴取などを再開したが、昨日5月20日、異例のスピードで「不起訴」を再決定した。予定の行動だろう。一度不起訴にしたものを、検察審査会ごとき素人集団の議決によって覆されたからといって、おいそれと態度を変えたのでは「検察の沽券にかかわる」とでもいうのだろうか。

 今回の不起訴処分の再決定は、マスメディアでもすでに織り込み済みであったらしく、今日の各紙の報道は意外に小さいものだった。これは、宮崎県で初動対応の遅れから口蹄疫の被害が飛躍的に拡大し、九州地方はおろか日本中の大問題になっていることも影響しているのだろう。

ついでに言えば、私は今回の口蹄疫被害の拡大をみるとき、ブッシュ政権の末期に起こったニューオーリンズのハリケーン災害のことを思い出す。アメリカ南部の沿岸諸州は年中行事のように毎年ハリケーンに襲われるにもかかわらず、日頃からの防災対策が必ずしも十分でなく、加えて大災害発生時の緊急事態に対するブッシュ政権の対応が決定的に立ち遅れ、それを契機に「ブッシュ・ノー」の全米世論が一気に広まったのである。

今回の宮崎県の口蹄疫問題の広がりの規模の大きさと速度をみるとき、東国原知事赤松農水相そして鳩山首相に対しては、現在もこれからも為政者としての識見や能力が徹底的に試されることは間違いない。そして彼らが地方自治体や国政の最高責任者としての資質や能力に欠けるときは、県民や国民の世論は容赦なく「東国原ノー」、「赤松ノー」、「鳩山ノ―」に向かうだろう。

話を元に戻そう。今回の東京地検特捜部の小沢問題への一連の対応は、一から十まで国家権力機関としての検察庁の行動様式を象徴するものだ。これを正確に理解するカギは、検察を「正義の味方」とみるか、あるいは「権力の狗・手先」とみるか、といった二者択一的な見方に陥らないことだろう。検察は、「正義の味方」でもなければ、「権力の狗・手先」でもない。その本質は、あくまでも「国家権力機関の一部」だということだ。

しかし、検察庁は単なる権力機関ではない。一般的にいえば、国家の社会秩序を維持するために刑事事件について捜査し、公訴する権限を与えられており、裁判所に法の正当な適用を請求し、裁判の執行を監督することがその役割である。だがこと権力犯罪それも政治権力をともなう刑事事件になると、事柄は簡単でなくなる。

ロッキード事件で当時の田中首相が逮捕されたケースなどは、それが単なる収賄事件での起訴ではなく、田中内閣に象徴される利権腐敗構造の拡大に歯止めをかけるという高度な政治判断が働いていた。これ以上、「田中的政治」が蔓延すれば、日本の政治秩序はもとより、社会秩序が壊れるという司法権力の判断がそこに働いていたのである。金丸自民党副総裁の場合も、ホリエモンの場合も同様だろう。

そういう観点から見れば、今回の小沢不起訴が意味するものは何か。私は、保守政権が安定し、政局に大きな変動が起こらないような「平常時」であれば、小沢幹事長は「起訴間違いなし」だったと考えている。小沢氏のような社会秩序を乱すような権力者は好ましくなく、保守体制の安定を求める側からすれば、「のどに刺さったトゲ」は抜かなければならないからだ。

だが自民党から民主党へ「政権交代」が起こった直後であり、しかも保守2大政党制がいまだ確立していない政治情勢の下で小沢起訴に踏み切ることは、「民主党に裏切られ、自民党に愛想を尽かしている」国民世論に、大きな政治的混乱を及ぼすおそれがある。小沢氏に代わる「まともな権力者」をすぐに用意できなければ、「当分はこのまま使い続ける」以外に方法がないのである。

すでに日本の政治情勢は、小沢・鳩山の「黒色ツートップ」で参議院選挙を強行突破するというシナリオができている。日本経団連をはじめとする支配層の政治戦略は、「多少の問題があってもこのままでいく」ことのほうが、ここで指導者の首をすげ替えて政治の混乱が起こるよりはマシだというものだ。検察庁の小沢不起訴の決定は、この支配層の政治判断に基づく権力機関としての忠実な行動だろう。

とはいえ次の難題は、検察不起訴の決定を受けて、新たに組織される検察審査会がどう議決するかだ。検察審査会の審査を引き延ばして参議院選挙の後に議決をもってくるという方法もあるが、いずれにしても再度強制起訴されれば、弁護士が強制起訴の任に当たることになる。そのときは東京地検特捜部の捜査資料が弁護士に手に渡ることになり、検察の捜査内容や不起訴処分そのものが国民の審査の対象になる。

 国民はいま裁判員制度実施1周年を迎えて、司法制度に国民が如何に参加できるかその力量と見識を問われているが、検察審査会を通しても真の主権者としての存在意義を示してほしいと思う。