危機的状況にある北朝鮮の鉄道施設(1)、(近くて遠い国、北朝鮮への訪問、その3)

鉄道や道路などの「交通インフラ」は、一国の生産と生活を支える不可欠の社会基盤施設だ。交通インフラの整備はまた、軍事目的とも不可分に結びついている。とりわけ中国東北部朝鮮半島の鉄道網は、日本帝国が大陸進出・植民地支配の戦略的手段として敷設した路線が多い。北朝鮮の場合も、日本の植民地支配に敷設された鉄道網が主要路線を形成している。

私は工学部(建築学)の出身で、土木工学の講義は一応聞いたとはいえ、鉄道技術にそれほど詳しいわけではない。また朝鮮や中国をめぐる近現代史の専門家でもないので、日本の植民地時代の鉄道政策について研究しているわけでもない。しかし父親が満鉄(南満州鉄道)の技師で、私自身も父親の任地である中国東北部(旧満州)のハルビン市生れだから、中国や朝鮮の鉄道にはかねてより強い関心を抱いていた。これまでもハルビンには幾度となく行ったが、瀋陽や大連までは航空便を使っても、そこからわざわざ鉄道に乗り換えてハルビンへ行くのが常だった。今回の北朝鮮行きでも、私たちがピョンヤンまでわざわざ長時間の鉄道の旅をしたのは、北朝鮮の鉄道事情をつぶさに見たかったからだ。

北京からピョンヤンまでの国際列車は、中朝両国の鉄道事情を比較する上で格好の観察機会を提供する。機関車・客車・貨車などの列車性能、線路・架線・信号系統の整備状況、機関区・操作場・貨物ヤード・乗降ホーム・駅舎・駅前広場など物的施設の水準、そして標定速度(目的地までの停車時間を含む平均速度)や運賃、乗務員のサービスマナーなどがその比較尺度だ。

一言でいって、中国と北朝鮮の鉄道施設の水準は「もはや比較にならない」という他はないだろう。北朝鮮の鉄道施設はその多くが日本の植民地時代に敷設されたものであり、第2次大戦後に電化されたことを除いてはほとんど見るべきものがない。車両の多くはソ連製で、21世紀に入ってから一時期近代化されたと伝えられているが(それまでは窓ガラスのない客車ですら走っていた)、新義州駅でみた線路脇の一般客車や貨車の有様は、まるで「ポンコツ」としか言いようないスクラップ寸前の代物が多かった。またピョンヤン駅の待避線で停車している客車の様子は到着時には見るすべもなかったが、私たちの宿泊していた「高麗ホテル」の屋上回転レストランからみると一目瞭然だった。

高麗ホテルはピョンヤン駅近くの44階建ての超高層ツインタワー、ピョンヤン第1の特級ホテルである。北朝鮮の特権層、政府が招聘した各国の要人や代表団、中国のビジネスマン、ヨーロッパや日本などからの高負担に耐えられる外国人観光客しか利用できない。中国からの一般観光客は、ヨーロッパや日本人客にくらべて旅行単価が4分の1程度なので、高麗ホテルに宿泊することはまずない。国際列車では1等寝台に乗っていた中国中央テレビのクルーも、高麗ホテルには宿泊していなかった。

北朝鮮の観光事情については後日詳しく書くことになるが、少しだけ触れておくと、8月は北朝鮮最大のイベント・アリラン祭が始まった大観光シーズンであるにもかかわらず、高麗ホテルにはほとんど人影が見当たらなかった。私たちが朝食をとった食堂は貴賓室(別室)もある300席程度の中食堂だったが、毎朝顔を合わせる客は数組でいつもガランとしていた。屋上の回転レストランはさらに客がまばらで、昼間に二度ほど滅茶高いコーヒーを飲みに行ったが、時間外れということもあって客は私たちだけだった。

 でもそれが幸いして、思いがけず撮影禁止のピョンヤン駅を眼下に望める機会に恵まれることになった。回転レストランはおよそ1時間1回転の速度で1周する。ピョンヤン市内の360度の遠望が居ながらにして望めるわけだ。何気なく眼下を見ると、そこにはなんとピョンヤン駅の全景が操車場や機関区も含めて丸写しになっているではないか。だがそこで待機している客車・貨車の多くは、新義州駅ほどではないにしろ遠目にもわかるほど赤錆びて古ぼけたものだった。

 またピョンヤン市内には路面電車が走っている。ピョンヤン駅は最も路線が集中するターミナルなので、そこにいけばほとんど全ての路線の車両を見ることができる。路面電車チェコなどの東欧製のものが多いが、中には「鉄クズ」が動いているような印象さえ受ける旧い車両も少なからずあった。トロリーバスもほぼ同様だ。

 一国の中央駅の鉄道施設や首都の路面交通におけるこの状況、すなわち新車両の投入もなくまた車両整備もままならない惨状は、北朝鮮の機械工業・製造工業の危機を物語っている。巷間、北朝鮮の工場は、エネルギー不足と機械設備の不良から稼働率は2〜3割でしかないといわれるが、この推測はあながち誇張されたものとは思われない。中国への北朝鮮側からの主要な輸出品として「クズ鉄」が大きな割合を占めているのは、これらのクズ鉄が操業を停止している工場の機械類をスクラップにしたものといわれ、北朝鮮がまともな機械製品を製造できる状況にないことを示している。

 線路や信号などの整備状況も、中国側の丹東駅から北朝鮮側の新義州駅に移ると一変する。まず線路の枕木とそれを支える線路基盤のバラスト(砕石)の整備状況は、中国側の枕木が強化鉄筋コンクリート製の素材で統一され、バラストも山盛りになっているのに対して、北朝鮮側のそれは木製それも半ば腐朽したものが散見され、バラストの量も薄くて少ない。カーブなどの主要箇所では鉄筋コンクリート製の枕木を使っているのだが、枕木のコンクリートが所々剥落して、赤茶けた鉄筋が剥き出しになっているのである。

 国際列車が走る新義州からピョンヤンまでの平義線(元京義線の一部)は、北朝鮮のなかでも最も整備の行き届いた優良区間とされ、金正日の特別列車が中国やロシヤへの往復する最重要路線だ。事実、この5月には金正日がこの路線を通って北京や大連などを訪れている。「偉大な指導者」の通行安全は国家的大事であり、そのための線路整備、テロ警戒、秘密裏の運行などは厳重を極める。その同じ路線のわずか3カ月後の線路状況がこの有様なのだから、その他の路線の現状は推して知るべきであろう。(つづく)