ピョンヤンまでなぜかくも長時間を要するのか、(近くて遠い国、北朝鮮への訪問、その2)

北京駅からピョンヤン駅までは、週に4本(月・水・木・土)の国際列車K27が出ている。路線距離は、北京から丹東(中国側国境駅)まで1142キロメートル、新義州北朝鮮側国境駅)からピョンヤンまで225キロメートル、鴨緑江を挟む但東・新義州間の5キロメートルを合わせると、北京からピョンヤンまでは1371キロメートルになる。時刻表はいずれも同じで、予定通りいけば、北京発は夕刻の17:30分、但東着は翌朝の7:30分で所要時間は14時間だ。新義州発は午後の13:50分、ピョンヤン着は夜の19:50分で所要時間は6時間である。中国と北朝鮮の時間差は1時間なので、中国時間で言えば新義州発12:50分、ピョンヤン着18:50分となる。

国際列車といえば、始発駅から終着駅まで同じ列車編成で運行するのが普通の姿だろう。しかし北京からピョンヤンへの国際列車は、始発駅から終着駅まで行くのは中国の国章を付けた最後尾2両の寝台車両だけで、残りの12両の客車はすべて丹東駅で切り離される。「軟臥車」と呼ばれる1等寝台車には、4人1組のコンパートメントが6室設けられ、定員は24人。「硬臥車」(2等寝台車)はほぼ満員で、一般車両はスシ詰め状態だったにもかかわらず、1等寝台車の乗客は、私たち2人と北朝鮮の番組作成に向かう「中国中央テレビ」(CCTV)クルー4人だけだった。

彼らテレビクルーは英語を話せず、私たちは中国語を話せない。でも孫文の足跡をたどった番組を日本で撮ったカメラマンとは、筆談を通じてすぐに仲良しになった。中国のテレビクルーが往復とも鉄道を選んだのは、機材が重過ぎて航空便を利用できないからだといっていたが、本当の狙いは私たちと同じく北朝鮮の沿線風景を撮ることにあったと思う。実際、カメラマンは最後尾車両のデッキに陣取り、ほとんど休むことなくカメラを回し続けていた。こんなことをすると、通常なら北朝鮮の国家安全保安局の監視員によって制止されるはずだが、そうでなかったところをみると、やはり特別の許可でも得ていたにちがいない。
 
北京からピョンヤンまでの実走行時間は20時間程度だから、これだけのことなら25時間余りもかかるはずがない。だが問題は、中朝国境の丹東駅と新義州駅で出国手続きと入国手続きにものすごく長時間を要することだった。列車の再編成を含めて但東では2時間、新義州では3時間余りも列車が止まっているのだから、たまったものではない。航空便ならせいぜい1時間もかからない出入国手続きがこの両駅では5時間余もかかるのだから、余程のことがない限り鉄道を利用しないことになる。だがこの5時間は、私たちが北朝鮮と出会う第一歩となり、北朝鮮の国情を知るうえでの最初の貴重な機会となったのである。
 
丹東駅では中国の機関車と客車が切り離されて新たに北朝鮮の機関車と客車が連結され、鴨緑江の鉄橋を渡った新義州駅でさらに客車が増結されてピョンヤンに向かう。だから機関車や客車の切り離しや連結に時間がかかることは理解できるが、しかしこれらは併せても1時間もかからない。では残りの4時間余りはいったいなぜ必要なのか。

私たち自身の中国側の出国手続きは比較的簡単だった。しかし丹東駅では、多数の北朝鮮人たちが抱えきれないほどの大きな荷物を持って客車に乗り込むのに相当時間がかかった。また私たちが乗っていた1等寝台車にも、故金日成主席(以下、敬称略)のバッジを付けた北朝鮮の富裕層らしい乗客が乗り込んできてコンパートメントはすべて満室になった。私たち2人で独占していたコンパートメントにも2人の北朝鮮人が乗ってきて、定員4人の満室となった。しかも彼らがしこたま荷物を抱えているものだから、寝台車全体がまるで「買い出し列車」のような様相になったのである。
 
問題は、新義州駅での北朝鮮への入国手続きだった。プレスのきいた制服の官憲が一斉に入ってきてパスポートとビザはおろか、手荷物のすべてを開けて点検を始めた。特にカメラやビデオ機器の点検は入念で、それまで北京空港や北京駅で撮ったデジカメ写真までも1枚1枚念入りにチエックした。また外国人の携帯電話は使用禁止なので、同行の友人の携帯電話はセロテープでぐるぐる巻きにされて封印された。もしこの封印が剥がされていたら、北朝鮮からの出国手続きは「きわめてややこしいことになる」と聞かされた。

外国人の数は、2両の寝台車を合わせてもせいぜい20人にも満たないだろう。いくら点検に時間をかけてもしれている。だが程なくして、入国手続きに相当な手間ひまがかかることがわかった。同室の北朝鮮人たちの荷物が解かれ、丹東市で買い出しをしてきたらしい肌着などのおびただしい生活用品が一つ一つ点検され始められたからだ。同様のことは、一般客車に乗っている千人を超える乗客に対して行われているにちがいない。となると、百人を超える官憲を動員しても1時間や2時間では済まなくなる。

金正日は、2009年末に配給制度に依らないで食料や生活必需品を市場(ヤミ市場)で調達している住民に対して統制を強め、多くの市場を閉鎖した。同時に、旧ウオン100に対して新ウオン1という通貨交換によるデノミ政策を強行した。しかも交換できるのは旧10万ウオンまでで、それ以上の旧貨幣は全て無効にするというものだった。また中国の元やユーロなどの外国貨幣の使用も禁じられた。 

北朝鮮ではいったん銀行預金をすると引き出せないことが多く、現金や外貨でタンス預金をしている世帯がほとんどだ。だからこのデノミ政策は、相当額のタンス預金をしていた新興富裕層に大打撃を与えた。農民など貧困層は政府に対して抵抗したり反対したりすることは困難な状況に置かれているが、新興富裕層は金体制を担う中核的存在であるため、彼らの反発は体制を揺るがす可能性を持つものだった。だからこそ、絶対的な権限を持つ政府の政策が僅かの期間で撤回されることなどこれまではあり得なかったが、今年に入ってからはふたたび市場(ヤミ市場)が再開され、中国への買い出しも始まったのである。

アメリカや日本などの経済制裁が強化されて以降、中国は対北朝鮮貿易における食糧・燃料・生活用品などの全ての分野で9割を超える圧倒的な比重を占めているとされる。丹東市は、中国全体の対北朝鮮貿易の6〜7割を占める人口300万人近い大都市であり、丹東とピョンヤンを結ぶ国際列車は、その生命線ともいうべき大動脈なのである。(つづく)