減税日本は“日本版ティーパーティ運動”だ、(名古屋トリプル選挙の衝撃、その6)

 マグニチュード9.0という、日本の観測史上最大の大地震と巨大津波に襲われた東日本大震災東北地方太平洋沖地震)が、いま文字通り日本中を震撼させている。くわえて東京電力福島原子力発電所炉心溶融(燃料棒損傷)にともなう爆発事故が、アメリカ・ヨーロッパなど全世界中を不安に陥れているといっても過言ではない。

 阪神大震災のときも時々刻々と情勢が変わり、被害状況が把握されるまでには相当な日時を要した。私が近傍の大学研究者と一緒に被災現場に行ったのは地震発生後4日目だったが、現地での凄まじい状況を目の当たりにしたものの、被災状況全体を把握することはとうてい不可能だった。今回の東日本大震災阪神大震災をはるかに上回る広域災害であるだけに、被災状況の全容を把握することはなおさら困難を極めるだろう。

 まして原発事故への安全対策と炉心制御が思うにまかせず、外部への放射能漏れの拡大が懸念されている現在、今後の事態の推移はまったく予断を許さないことも事実だ。津波被害などによる現地の被災者の方々の一刻も早い救出と安全確保を願うと同時に、原発事故がこれ以上拡大・深刻化しないよう関係者の懸命の努力を祈らずにはいられない。また私自身も阪神震災後に結成された専門家組織・「阪神淡路まちづくり支援機構」の一員として、今後できる限りの努力を尽したい。

 東日本大震災のことは後日に譲るとして、今回のテーマは、昨日13日に行われた名古屋市議会議員出直し選挙の結果についてである。各紙の見出しは、ほぼ一様に「減税日本が第1党、過半数に届かず、民主惨敗」の線で揃っている。選挙前の予測記事でも「減税日本」が過半数を占めるかどうかが焦点になっていたが、結果は過半数の38議席に届かなかったものの、「減税日本」は28議席を獲得して第1党に躍進した。

これに対して最大会派だった民主党は、そのあおりを喰って解散前の27議席から11議席へと惨敗し、第4党に転落した。市議団団長や元市会議長など民主党の最有力候補が軒並み落選したのだという。自民党議席も23から19へ、公明党は14から12へ、共産党は8から5へ、社民党は1から0へとそれぞれ後退した。またみんなの党は8人の候補者を立てたものの、議席を獲得できなかった。 なお投票率は、前回40%を若干上回ったものの44%と低調だった。選挙結果を見ての私の大まかな感想は、以下の通りである。

第1は、「減税日本」のあおりを一番受けたのは民主党だということだ。河村市長を支持した民主党支持者の多くが、今回は民主党から「減税日本」の候補者に鞍替えした。また「減税日本」に投票しなかった民主党支持者は、民主党候補に投票することなく棄権した。これが民主党が「減税日本」に喰われて惨敗した基本的な政治構造だ。

このことは民主党支持者に浮動票層が多く、ときのムードで投票行動を変える有権者が多いことを意味する。菅政権に愛想を尽かし、民主党から支持離れした有権者が一方では「減税日本」に流れ、一方では棄権に回って投票率を下げたのである。今後の政治動向として注目される既成政党に対する政治不信が、名古屋では地域新党に流れる方向と、棄権にまわる投票行動に分かれたと見てよいだろう。

第2は、自民党公明党がしぶとく生き残ったことだ。もともと名古屋は保守基盤の強い地域であり、保守中上層が自民党支持、保守下層が公明党支持という「棲み分け構造」ができていた。自公支持者は首長選挙では河村支持に流れたものの、議員選挙では日頃の利害関係のつながりの強さから、その多くが既成政党の枠内に踏みとどまった。首長選挙がムードに押し流される傾向があるのにくらべて、地方議員選挙が「地ベタを這う」といわれるのはこのためだ。

第3は、共産党社民党議席を大幅に減らしたことだ。共産党は半数近くにまで落ち込み、社民党はついにゼロになった。革新政党の支持者には固定的な支持層と浮動層があるといわれるが、「減税日本」はこの中から浮動層のかなりの部分を奪い取ったとみていい。今後、革新政党が斬新な選挙政策と選挙戦術を打ち出さない限り、相次ぐ地域新党の旗揚げは表層の浮動層はもとより、その基盤である固定層までも容赦なく侵食することになるだろう。

第4は、みんなの党議席ゼロで終わったことだ。前回の日記でも書いたが、もともとみんなの党は地方政党にはなじまない性格だというべきだろう。これだけ露骨なリストラ政策を掲げる新自由主義政党は、民主党自民党の分派としては存在しても独立政党として生き続けることは難しい。地方議員のいない全国政党が存在し続けることができない以上、みんなの党統一地方選でも確たる成果を挙げることはできず、遠からず消滅の道を辿るのではなかろうか。

最後に「減税日本」の将来予測を語ろう。河村代表は「減税日本」を地域政党・地域新党と吹聴し、ことあるごとに「名古屋市民の見識」を持ちあげている。しかし私は「減税日本」の正体を“日本版ティーパーティ運動”だと見ている。なぜなら「減税日本」の公約は、その名が示すごとく「税金はできるだけ払いたくない」という中間層の私生活主義を代表しているだけで、市民生活を豊かにするための「地方自治・住民自治の哲学」がカケラもないからだ。

 それはアメリカ超保守派の“ティーパーティ運動”のように、共和党右派候補を首長や議員に当選させることで公共サービスを「上から」カットしようとする露骨な政治運動であり、目下、アメリカの各州で猛威をふるっているリストラ政治・切り捨て行政のコピーにすぎない。しかしそれが、みんなの党のように露骨な姿ではなく、「地域政党」「地域新党」という新しい衣をまとっているために正体が見えないだけの話なのだ。

 来る統一地方選では、民主党から地域政党に「衣替え」「着替え」をする候補者が続出するだろう。だがこんな器用な芸当はいつまでも続かない。「減税日本」が各地の地域政党や小沢残党などと手を組んで全国政党としての名乗りを挙げた瞬間から「終わりの始まり」がスタートする。これが私の(有力な)仮説である。(つづく)