閑話休題、京都五山送り火騒動に思う(1)、(私たちは東日本大震災にいかに向き合うか、その29)

 今年の夏も京都は五山の送り火(8月16日夜)を迎えた。300年以上も続く京都の伝統的宗教行事であり、夏の風物詩でもある五山の送り火は、京都市民はもとより全国の人びとからも愛される年中行事として定着している。それは、お盆に迎えた先祖の霊を送る鎮魂と追悼の儀式として家族の絆を深める機会である同時に、京都に来た観光客が生活様式としての京都の歴史文化に触れる貴重な機会でもあるからだ。

 その五山の送り火が今年は大揺れに揺れた。詳しいことは、拙稿「善意が失意に変わるときー京都五山送り火騒動が教えるもの」(『ねっとわーく京都』、2011年10月号、9月初旬発売予定)を読んでほしいが、発端は、東日本大震災で壊滅した岩手県陸前高田市景勝地高田松原」の松を薪にして、大文字の送りとして燃やそうという善意の企画だった。たまたま陸前高田と大文字保存会を結ぶ人がいて、大震災で亡くなった犠牲者の鎮魂と追悼を両地で共有しようというのが当初の趣旨だったのだ。

ところが、このことが6月末に報道されるや否や、大文字保存会や京都市に対して、被災地の松を燃やすと「放射能が拡散するおそれがある」、「琵琶湖の水が飲めなくなる」などといった少なからぬ不安と苦情が寄せられた。そして京都市が薪の放射能測定を行い「未検出」だったにもかかわらず、保存会内部では動揺が収まらず、最終的にはついに陸前高田の松は「使用中止」という破目になった。

ここから騒ぎが大きくなった。五山送り火が差し迫った8月6日、被災地の松の「送り火使用中止」が公表されると、全国紙やテレビがこぞってこのニュースを取り上げ、京都は全国の非難の的になった。全国ニュースとして価値のある「京都」「送り火」「大震災」のキー ワードがそろい、それらが原発事故をめぐる国民の不安感を刺激する格好のトピックスになったためだろう。

連日の報道に刺激されたのか、今度は一転して多くの京都市民のなかから、被災地の松の送り火使用中止は、「被災地の思いを踏みにじるもの」、「放射能風評被害を拡げる行為」、「京都のイメージダウンにつながる」など激しい抗議の渦が巻き起こった。他府県からも抗議の声が市役所に多数寄せられるようになった。事態は、陸前高田と大文字保存会の個別的関係から、被災地と京都の関係に一挙にバージョンアップしたのである。

事態を重く見た京都市は「京都バッシング」を回避するため、被災地から新たに別の薪を取り寄せ、しかも大文字だけではなく五山全体の送り火として燃やすという新たな提案を行った。大文字保存会は最後まで渋ったが、五山送り火連合会が賛意を示し、他の保存会でも実施が決まると最終的には同意した。京都市は胸をなでおろし、これで「一件落着」になるはずだった。

だが皮肉なことに、新しく届いた陸前高田の松(の表皮)から放射能が検出された。京都市が五山送り火連合会に提案した際の前提条件は「放射能の未検出」だった。放射能の有無が被災地の松を送り火に使う判断基準である以上、京都市はふたたび送り火に使うことを断念せざるを得なかった。京都はふたたび全国の非難の的になった。

8月13日の各紙は、この事態を一面と社会面のトップ記事で扱い、「五山送り火、無情の上塗り」、「被災の松、再び断念」、「受け入れ巡り状況二転三転」、「取るに足らぬ線量」、「被災地2度悲しませた」、「古都の信頼失墜」などの大見出しが紙面に溢れた。謝罪する市長の姿が大写しで掲載され、京都中が失意の嵐に包まれた。京都の文化人も「京都の恥」と非難し、「京都人は閉鎖的で排他的」といった印象が全国に広まった。

なぜこんなことになったのか、なぜ「善意」が「失意」に変わったのか。放射能汚染の風評被害に怯えた一部の市民が性急な行動に走り、その批判に動揺した保存会がこれまた被災地の心情を十分に慮ることなく中止した・・・と非難することはたやすい。でもこれだけのことなら、行動した善意の人たちが一方的に悪者にされるだけで終わってしまう。被災地と京都の関係はこじれたままで終わってしまうのだ。

私は以前にも書いたように、放射能汚染の風評被害を単なる流言飛語の類とは考えていない。それは未知の原発災害に対する消費者や住民の危機回避行動であり、災害防止行動の一端だと思っているからだ。したがって、今回の被災地の松の「送る火使用中止」の背景には、福島原発事故にともなう放射能汚染がすでに広範囲に拡散しているにもかかわらず、京都や西日本の人たちがその実態を必ずしも正確に知らされていないという、現実と認識の「ミスマッチ状況」が横たわっていると考えている。

言い換えれば、多くの人びとが福島原発事故の影響範囲は、原発周辺地域や東北地方の被災地に限られ、その他の地域には放射能汚染が及んでいないと考えているが、実はそうでないということだ。そしてこのことは、一方では被災地からの物流を(時には人の流れも)封じ込めれば「自分たちは安全だ」と思う風評被害の背景となり、一方では「それでも安心できない」という底しれない不安感の原因となっているのである。(つづく)