追い詰められる“マッド橋下”、橋下主義(ハシズム=ファッシズム)は終焉のときを迎えた(その2)

 橋下氏の大阪市長選出馬表明から数日経た現在、橋下氏の選挙戦術が大体どのような形で展開されるのかがわかってきた。同時に、橋下氏の形相からも「相当追い詰められている」いや「死に物狂いになっている」ことが読み取れる。それは一言で言って、“マッド橋下”あるいは“狂気の橋下”といってもおかしくないほどの必死の雰囲気なのだ。

 たとえば、昨夜10月25日の朝日放送テレビの立候補者討論会がそうだった。通常の場合、テレビ局はそれぞれの発言時間を公平に配分して、立候補者の政策や主張をできるだけ客観的に視聴者に伝えようとするものだ。しかし、昨夜の討論会は、司会のキャスターの拙さも手伝ってか、まるで橋下氏の「独演会」の様相を呈することになった。“傍若無人”とはまさにこのことだろう。

 まず、自分の発言は制限時間などお構いなしに好き勝手に喋る。他の立候補者の発言に対しては話の途中でも遠慮なく口をはさむ。そして他の人が発言中にもかかわらず言葉を奪い取って反論するなど、まるでやりたい放題なのだ。品のないディベート番組ではよくあることだが、厚かましい出演者たちが互いの主張が聞き取れないほど罵り合う光景がある。それをひとりの出演者だけがやるのだから、聞いている方はたまったものではない。

 このテレビ番組を見て、視聴者はいったいどのような感想を持っただろうか。橋下氏の熱弁に魅せられて「頼もしい」と思っただろうか。それともお立ち台の前で歯切れよく喋る日頃の橋下氏とは違って、「少しおかしいぞ」と感じたのだろうか。私は彼の発言もさることながら、その際の表情(形相)や眼付きの異様さが気になった。そこに流れているのは、まさしく“狂気”に近い空気だったからだ。

 そういえば、大阪維新の会の選挙集会に参加した多くの人びとも私と同じような印象を持っているらしい。選挙前の「対話集会」だから、主催者は通常ならできるだけ多くの人びとに参加してもらって、維新の会の公約や主張を府民市民に理解してもらうよう努力をするはずだ。ところが、維新の会の選挙集会はそうでないところが異常なのだ。

参加者は、まず会場の入り口で住所・氏名・電話番号を書かされる。書くことを拒めば入場を拒否されるから、ほとんどの人が渋々ながら署名する。次は空港のようなゲートがあって、一人ひとりセキュリティチェックが行われる。橋下氏は警護付きのVIPなので、このようなセキュリティチェックが必要になるというのが主催者側の言い分だ。でも民主主義国の選挙集会でこのような参加者の確認や身体検査が行われることなど、世界中のどこでも聞いたことがない。オバマ大統領が来る選挙集会でもこんなことをやるのだろうか。

 それから会場での質問や発言は厳しく制限される。というよりは、ほとんど質問や発言の機会がないというのが実態だ。「対話集会」が始まると、前座の府議や市議が適当に前宣伝の話をする。そのうちにいよいよ本命の橋下氏の登場となる。例によって、橋下氏は半時間ほど絶叫調の演説をして風のように消える。次の会場が待っているから質問や発言を受ける時間がないというわけだ。これは対話集会でも何でもなく、一方的な宣伝集会に他ならない。参加者はアジられるだけアジられて帰途につくというわけだ。これではまるで、ヒットラーユーゲント主催のナチスの集会ではないか。

 話をテレビ番組の橋下氏の発言内容に戻そう。彼の話を聞いていると、知事就任以来の行政上の成果や公約の実現状況についてはほとんど語らないことに気付く。大阪市長選に出るのだから、大阪府政のことは語る必要がないとでもいうのだろうか。喋るのは主として「大阪都」構想のことであり、構想実現のためには大阪市を解体しなければならないということだけだ。そしてこともあろうに、「大阪都」構想は大阪市を牛耳っている権力を府民市民の手に取り戻すためだというのである。

 教育基本条例に関しても同じ論法だ。教育委員会文部科学省の鉄の支配下にあり、教育行政はその一派に握られているので、これを府民市民の手に取り戻さなければならない。そのためには、府民市民に直接選ばれる知事や市長がもっと教育行政に意見を言えるような仕組みを作る必要がある。教育基本条例はそのためのものだ、というのである。

 本来なら、司会者がもっと毅然とした立場で話題を整理し、橋下氏の言いたい放題の論理を討論の場に引きずり出せばよかったのだが、なぜかこのキャスターは橋下氏には及び腰(弱腰)で、彼の一方的な発言を制御できなかった。それに他の候補者たちの発言も、討論の場に慣れていないのか著しく精彩を欠いていた。これでは視聴者が「なんだが頼りない」と思うのも無理がない。

 橋下氏は、知事時代の成果や公約実現についてもっと(正確に)語るべきだ。それを語らずに、「大阪都」構想のことだけで有権者の目を逸らそうとするのは止めた方がよい。また対立する候補者は、橋下氏に語るべき成果がないのであれば、そこを的確に指摘し批判することが求められる。過去の失政を語ることなく「構想」だけで政策の争点をあいまいにし、テレビで鍛えられた話術で相手を煙に巻くのが橋下氏の戦法だとするなら、それに対抗できるだけのディベート力を鍛えなければならない。次回からは、知事時代の公約がいったいどうなったのか、その一つひとつ明らかにしていきたい。(つづく)