“安全第一主義”の復興計画は正しいか、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その3、岩手県復興計画の場合)

前回でも述べたように、「安全の確保」「暮らしの再建」「なりわいの再生」を3原則とする岩手県復興計画は、被災者の生活再建と被災地の再生にとって緊急不可欠な復旧復興施策を集約した政策体系であり、東日本大震災復興計画の「モデル」ともなり得るものと評価できる。しかし、その“計画コンセプト”に全く問題がないかといえば、必ずしもそうとはいえない(と思う)。それは、今回の東日本大震災の一大特徴である巨大津波災害に対して、各県の復興計画がどう立ち向かうかという共通課題に関する基本問題でもある。岩手県計画書は次のように言う(第2章、復興の目指す姿と3つの原則)。

「復興に向けた歩みを進めるに当たっては、まず「安全」を確保しなければならない。被災者が希望を持って「ふるさと」に住み続けることができるよう、「暮らし」を再建し、「なりわい」を再生することによって、復興の道筋を明確に示すことが重要である。このことから、「安全」の確保、「暮らし」の再建、「なりわい」の再生を復興に向けた3つの原則として掲げ、この原則のもとで、地域のコミュニティや、人と人、地域と地域のつながりを重視しながら、ふるさと岩手・三陸の復興を実現するための取り組みを進める。」

この文章の下に「復興に向けた3つの原則」の解説図(三角形)が付され、頂点(頂角)に「安全の確保」、底辺(底角)には「暮らしの再建」と「なりわいの再生」がそれぞれ位置づけられている。ちなみに解説図の説明文は以下のようなものだ。

「安全」の確保:津波により再び人命が失われることのないよう、多重防災型まちづくりを行うとともに、災害に強い交通ネットワークを構築し、住民の安全を確保する。

「暮らし」の再建:住宅の供給や仕事の確保など、地域住民それぞれの生活の再建を図る。さらに医療・福祉・介護体制など生命と心身の健康を守るシステムや教育環境の再構築、地域コミュニティ活動への支援などにより、地域の再建を図る。

「なりわい」の再生:生産者が意欲と希望を持って生産活動を行うとともに、生産体制の構築、基盤整備、金融面や制度面の支援を行うことにより、地域産業の再生を図る。さらに地域の特色を生かした商品やサービスの創出や高付加価値化などの取組を支援することにより、地域経済の活性化を図る。

これらの文章を一読すれば、ごく真っ当なことが書いてあると誰もが受け取るだろう。私も内容的には賛同できる。だが、あえて問題点を指摘するとすれば、復興3原則のなかで「安全原則」が頂点に位置し、「暮らし原則」と「なりわい原則」が底辺に位置づけられているという復興計画の“三角形構造”は果たして適切なのかということだ。つまり岩手県復興計画においては、「復興に向けた歩みを進めるに当たっては、まず「安全」を確保しなければならない」として安全が“第一義”に掲げられ、暮らしとなりわいは“第二義的”に位置づけられる構造になっているのである。

この“安全第一主義”の構造は、計画書の目次構成でも確認できる。「復興に向けた取組」(第4章)のなかの主要施策が「安全」→「暮らし」→「なりわい」の順序で並べられ、「防災のまちづくり」「交通ネットワーク」(安全の確保)をトップにして、以下「生活・雇用」「保健・医療・福祉」「教育・文化」「地域コミュニティ」「市町村行政機能」(暮らしの再建)と続き、最後が「水産業・農林業」「商工業」「観光」(なりわいの再生)となっている。

抽象的な言葉の上だけのことで言えば、「死んでは元も子もない」のだから「安全第一の原則」を計画理念として掲げることは間違っていない。しかし復興計画は“プロセス“という時間概念によって裏付けられた復旧復興施策体系なのであるから、計画理念を語ればそれで済むというものではない。とりわけ「安全の確保」(巨大土木事業など)を実現するには気の遠くなるような時間が必要である以上、その復興プロセスにおいて、復興3原則が優先順位も含めて時間的に如何にコーディネート(調整)されるかが計画の死命を制することになるのである。

たしかに岩手県復興計画においては、「復興への歩みと計画期間との関係」(第4章)のなかで、計画期間を「第1期(基盤復興期間)、2011年度〜2013年度」、「第2期(本格復興期間)、2014年度〜2016年度」、「第3期(更なる展開への連結期間)、2017年度〜2018年度」の3期に分けて、それぞれの計画期間ごとに3分野(安全、暮らし、なりわい)の大まかな施策展開の行程表が示されている。

だが問題なのは、これらの行程表が3分野ごとに並列的に羅列されているだけで、全体を統括する「総括行程表」がないことだ。これではそれぞれの分野で予算の付きやすい施策から個々バラバラに復興事業が進むことになり、「安全の確保」を掲げる巨大土木事業だけが進捗して、復興3原則を総合的に実現できなくなる恐れがある。3分野の復興事業を横断的に統括する「総括行程表」が必要なのであり、各事業を優先順位も含めて総合的にコントロールする「復興フローチャート」が必要なのである。

私が心配するのは、かっての新潟県における「角栄王国」のように、岩手県もまた「小沢王国」だということだ。小沢王国の特徴は、岩手県内の巨大ダム建設やギネス級の防潮堤建設にも象徴されるように、(1)災害時には政治力を駆使して巨大土木公共事業を呼び込み、(2)「災害復興計画」を通して地元業界への建設投資を配分し(箇所付け)、(3)地方首長や地方議員の系列化を進めながら利益還元政治を貫徹することだ。

この種の災害復興計画は、岩手県のみならずこれまで「日本列島改造論災害版」として全国津津浦浦に浸透していた。しかし小泉構造改革以降、グローバル市場を重視する財界の意向によって土木公共事業は大幅に削減され、ゼネコンや建設官僚は次第に「領地」(市場)を失いつつあった。また今回の大震災に際しては巨大防潮堤でさえ大津波は防げないことが明らかになり、「防災」から「減災」へと政策コンセプトを変更せざるを得なくなった。にもかかわらず蓋を開けてみると、土木公共事業はいつの間にか復興計画の主役として息を吹き返し、三陸沿岸道路(事業費1兆4千億円)をはじめ、ふたたび日本列島改造時代の高速道路建設や港湾整備事業が巨大防潮堤・防波堤の建設とともに復活してきている。

私はコラムを連載している『ねっとわーく京都』(2011年8月号)の誌上で、東日本大震災の復興のあり方に触れて「安全は暮らしの一部、全てではない」と書いた。岩手県復興計画の“計画コンセプト”は、「暮らしの再建」と「なりわいの再生」が上位に位置し、「安全の確保」が底辺に位置する“逆三角形構造”でなければならないと思う。「安全」が「暮らし」や「なりわい」の上に君臨するのではなく、安全は暮らしやなりわいを支えてこそ本来の機能を果たせると思うからだ。(つづく)