「多重防御」型防災対策は、国土交通省の“省益”のために打ち出された、岩手県復興計画からの教訓と課題(2)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その15)

 岩手県復興計画では津波対策の基本的な考え方として、「海岸保全施設の整備目標は過去に発生した津波等を地域ごとに検証し、概ね百数十年程度の頻度で起こり得る津波に対応できる高さとする」(第3章、復興に向けたまちづくりのグランドデザイン)としている。これ以上の(今回の津波のような)数百年に一度といった確率で発生する巨大津波は物理的に防御できないので「逃げる」しかないということだ。

この考え方は、国土交通省社会資本整備審議会・緊急提言の『津波防災まちづくりの考え方』すなわち「海岸保全施設等の構造物による防災対策については、社会経済的な観点を十分に考慮し、比較的頻度の高い一定程度の津波レベルを想定して、人命・財産や種々の産業・経済活動を守り、国土を保全することを目標とする」に沿ったもので、防潮堤の高さなどを決める今後の公共土木工事の基準になるものだ。

上記の『津波防災まちづくりの考え方』は、「津波災害に対しては、今回のような大規模な津波災害が発生した場合でも、なんとしても人命を守るという考え方に基づき、ハード・ソフト政策の適切な組み合わせにより、減災(人命を守りつつ、被害を出来る限り軽減する)のための対策を実施する」との考え方が基礎になっており、この考え方にもとづいて「“面”の発想により、河川、道路や土地利用等を組み合わせたまちづくりの中での津波防災・減災対策」すなわち「多重防御」の防災対策・津波対策が提起されている。

つまり、百数十年程度の頻度で発生する大津波には従来通りの防潮堤などで対応し、それ以上の数百年程度の頻度で発生する超巨大津波には、防潮堤の背後にある二線堤(道路、鉄道など)、高台移転、土地利用規制(非居住区域設定など)の組み合わせで対応しようというものだ。したがって単純化していうと、防潮堤は「百数十年に一度の大津波」のための対策、高台移転や土地利用規制(非居住区域の設定など)は「数百年に一度の超巨大津波」のための対策ということになる。

これは別に数字遊びではないが、同じ社会資本整備審議会の道路政策に関する審議会(2002年)の参考資料の中に、国交省が「一人の人が一生のうち交通事故に遭う確率」を試算した興味深いデータがある。それは、まず年間交通事故死傷者数118万人を総人口1億2700万人で割り、1年間に事故に遭う確率0.9%、事故に遭わない確率99.1%を算出する。次に一生を80年と仮定し、その間の事故死傷者率が変わらないとして1年間に事故に遭わない確率を80乗すると、「一生のうち事故に遭わない確率」は47%、つまり「一生のうち事故に遭う確率」は53%になるのだという。

一体何を言いたいのかと言うと、80年間に50%強の確率つまり「2人のうち1人」が交通事故に遭うことがわかっていても、人々は交通機関を利用することも止めなければ、外出することも止めないということだ。人々が日々の仕事や暮らしを維持していくためには、交通事故という「一定のリスク」を受け入れること(リスクと共存すること)が必要不可欠なのであり、そのために事故に細心の注意を払いながら毎日の生活を営む他はないのである。

同じことは津波対策でもいえる。百数十年間隔で大津波、数百年間隔で超巨大津波が来ることはわかっている。だからといって、津波への恐怖から住みなれた土地を離れたり、強制的に立ち退かされることが果たして適切な判断・行動だと言えるのだろうか。百数十年に一度の大津波は主に防潮堤で防げばよいし、数百年に一度の超巨大津波は「逃げるための万全の体制」を敷く以外に方法がないからだ。

ところが、多くの被災沿岸自治体では浸水・被災地域の広範な部分が「非居住区域」に設定され、当該区域の住民の「高台移転」が当然視されている。どうすれば現地復興できるかというギリギリの努力が放棄され、いつの間にか防潮堤・地盤嵩上げ・高台宅地造成の「土木事業3点セット」が復興計画の柱になっているのである。

平地が少ない沿岸部では、浸水区域や被災区域は最も利用価値・利用効率の高い貴重な土地空間だ。利用価値・利用効率が高い土地だからこそ市街地や集落がそこに歴史的に形成され、今日まで多くの人々によって住み継がれてきたのである。この貴重な土地が「百数十年に一度」あるいは「数百年に一度」という僅かな確率の大津波のために「非居住区域」として計画的に棄てられるとしたら、これほど土地の歴史と人間の努力を否定した(馬鹿にした)土地利用規制はない。

私は、国交省が知恵を出したといわれる「多重防御」という津波対策の考え方についても大きな疑問を抱いている。端的にいえば、それは「巨大津波には巨大防潮堤を」という従来の防災対策が構造的にもコスト的にも破綻した状況の下で、国交省が新たに打ち出した“多重型土木事業対策”ではないかと思っているからだ。つまり大津波に対しては従来規模の防潮堤工事を確保し、それを超える巨大津波に対しては地盤嵩上げや高台移転など新たな土木事業をこの際防災対策メニューに付け加えることで、国交省の“省益”をあくまでも守ろうとする算段なのだ。

国交省は、目下全国の土木系コンサルタントを総動員して津波被災地域の復興調査や復興計画の策定を急いでいる。これは当事者から直接聞いた話であるが、ゼネコンの傘下にある土木系コンサルは国交省に自ら陳情して調査・計画予算を確保し、「被災市町村に代わって計画を策定する」との意気込みで鋭意作業中だという。その内容が「土木事業3点セット」であることはいうまでもないが、被災自治体の復興計画がこれらの「ハコモノ集団」の食い物にされることだけは避けなければならないと思う。

そんな昨今の実態を鮮明に浮かび上がらせるような記事が最近あった。日経新聞のコラム「底流」(2012年4月21日)の「国交省内不安の源泉、「大臣」より公共事業削減論」という記事だ。前田国交相の問責決議が4月20日参院で可決されたことで国交省内の動揺が広がっているというが、不安の源泉は「大臣はいつまで持つのか」ということもさることながら、本心は「東日本大震災以降、同省が粛々と進めてきた公共事業拡大路線の変更を迫られかねないこと」にあるというのである。

コラムは、その背景を「安心、防災、代替、余力・・・。震災以降、これらのキーワードを武器に国交省は予算を勝ち取り、事業を拡大。公共事業への厳しい風当たりをかわすため「次なる危機への備え」を前面に打ち出す戦略が奏功した。だからこそ国交省は(今度の事件で)「公共事業=悪玉論」の再燃を恐れる。世論の風当たりが強まれば、予算を査定する財務省に歳出削減の格好の口実を与えかねない」と解説している。大学時代の学生寮で前田氏と生活を共にしたこともあって国交省の悪口は言いたくないが、被災自治体が「百年の計」を誤らないためにも自らの頭で考えてほしいというのが私の本心だ。(つづく)