県の震災復興会議には被災市町長を締め出しながら、自分自身は国の復興構想会議で「被災県代表」として大活躍した村井知事の自己矛盾、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(7)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その24)

「県が国に先んじて計画を作り、策定の過程で次々と国に対して提案する」という役割(作戦命令)を与えられた村井知事は、復興構想会議の第2回会議(4月20日)から第9回会議(6月11日)まで毎回資料を提出し、「国をリード」する勢いで大活躍する。その資料リストを示すと以下のようになる。 
第2回:「宮城県震災復興基本方針(素案)」
第3回:「(仮)宮城県震災復興計画」策定スケジュール
第4回:「緊急提言、水産業の早期復興策」(水産業の国営化、水産業復興特区の創設)
第5回:「緊急提言、東方への危機管理代替機能整備」
第6回:同上
第7回:「(仮称)東日本復興特区」の創設の提案
第8回:「提言、災害時における安全・安心の確保対策」
第9回:「提言、森林利用先導モデル地域創設構想、大学との連携による地域復興」

だが、いま改めて村井知事の発表資料や提出資料を精査してみると、その内容たるや「震災復興計画」という名称で出された“東北地方構造改革先導モデル計画”そのものであることに気付く。なかでも第2回会議に提出された「宮城県震災復興基本方針(素案)」の前に付けられた説明資料は、村井知事の真意を腹蔵なく語るものとして興味深い。

11頁からなる大文字の説明資料は、「宮城県の経済・歴史・文化」1頁、「被災地域の状況」1頁、「復興の基本的な考え方」1頁、「復興の方向性と施策」5頁、「国への提言」3頁からなり、「被災地域の状況」に関する説明は僅か1頁しか付されていない。また「復興の基本的な考え方」は、「復興」という文字を除けば、ごく普通の開発計画の項目(計画期間、計画主体、策定スケジュール)を羅列したものにすぎず、しかもその趣旨は、「県民一人ひとりが主体となるとともに、民間の活力を行政が全力でサポートする体制で復興を図る」という民間主導路線である。

つまり説明資料のほとんど全てが「復興の方向性と施策」と「国への提言」に充てられており、しかもその内容が「震災復興」を目的とするというよりは、「震災に便乗した構造改革計画」を推進する方向で書かれている。全文を紹介すると長くなるので、典型的部分を抜き書き的に引用しよう。

【復興の方向性と施策】
(1)災害に強い復興まちづくり
○高台移転・職住分離(三陸沿岸部)
○地域の産業基盤である農地の大規模利用や漁港の集約化など産業ゾーンの再編

(2)産業振興
第1次産業(集約化・大規模化・経営の効率化・競争力の強化)
○大規模土地利用型農業の展開、稲作から施設園芸への転換や畜産の生産拡大、斬新なアグリビジネスの展開(民間等による活性化)
○新たな水産業の創設と水産都市の再構築、復旧再生期における国の直営化、民間資本と漁協による共同組織や漁業会社など新たな経営組織の導入、水産業集積拠点の再構築と漁港の集約再編による新たなまちづくり(漁港を1/3〜1/5に!)
 ○クリーンエネルギー、環境、医療など次代を担う新たな産業の創出拠点化
 ○東北大学などと連携した先進的かつグローバルな産業エリアの創造・集積
 ○大災害メモリアルパーク(国営)の整備など新しい地域資源の創出、観光ルートの再構築などによる「観光王国みやぎ」の実現

【国への提言】
(1)財源確保策、災害対策税(目的税)の創設、恒久的で全国民、全地域が対象となる災害対策のための間接税
(2)復興共有地の整備(漁港・市場・水産加工場など)、津波危険地域の公有地化・共有地化
(3)大震災復興広域機構の設立、全国の地方自治体による職員派遣や国による東日本大震災復興構想との調整など、広域的・一体的な復興を進めるための機構の設立
(4)東日本復興特区の創設、思い切った規制緩和、予算や税制面の優遇措置を盛り込んだ被災地を対象とした特区を創設、「東日本エコマリン特区」「民間投資促進特別区域」「集団移転円滑化区域」など

 つまりここでは、経済同友会の提言と同じく被災者の生活再建や地域経済の再生など「復旧」に関する政策は皆無に近く、通常の場合では実現不可能な構造改革政策のメニューがズラリと並んでいるだけだ。そのうえ、財界や国(財務省)の意を体して(国に代わって)「災害対策税」という名目で間接税導入を主張し、「東北州先行モデル」の大震災復興広域機構の創設を謳うなど、「ショックドクトリン計画」の先導役としても面目躍如たるものがあるといわなければならない。

 このような露骨なシナリオを書いたのはいうまでもなく野村総研であるが、村井知事はその後も野村総研の進行シナリオにしたがい、そこで用意された意見を数々の「提言」として発表し続けた。被災3県知事のなかでも、村井知事の発言がマスメディアを通して突出して紹介されたのはこのためだ。

だが、村井知事が国の復興構想会議においては「被災自治体の代表」としての立場をフルに利用しながら、足元の県の震災復興会議においては被災市町村の代表を誰一人加えず、財界系シンクタンク中心(お墨付き)の東京メンバーを起用したことは、後になって救い難い「自己矛盾」として知事自身にはね返ることになった。 
 また国の復興構想会議に対して、村井知事は「宮城県で要望した内容をほとんど盛り込んでいただくことができました」(『復興に命をかける』)と自画自賛しているが、提言の内容は必ずしもそうとは言えない。財界からすれば、強力に主張した間接税や道州制の具体化を提言の中に盛り込めなかったのであるから、「事態は何ひとつ解決していない」のである。(つづく)