石巻市の“アドバイザー”とはいったい如何なる存在なのか、第三者機関なのか、それとも単なる「行政の助っ人」なのか、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編2)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その53)

雄勝中心部(震災前人口1668人、618世帯)の高台移転計画の経緯を追っていくと、そのなかに石巻市の「アドバイザー」という名の建築家(大学教員、アーキエイドメンバー)がしばしば登場する。石巻市雄勝支所が設けた「雄勝地区震災復興まちづくり協議会」の委員名簿にも「アドバイザー」としてリストアップされているし、市当局から出された移転計画関連の各種図面には、「アドバイザー」である大学教員の研究室や事務所名が「資料作成者」の欄に堂々と記入されており、作成日や図面番号までが付けられている。いわば「アドバイザー」である大学教員が、民間設計事務所と同じように役所の仕事である設計業務(助っ人・下働き)をこなしているわけだ(ただしそこには「アーキエイド」の名称は記されていない)。

通常、行政機関や公益組織における「アドバイザー」といえば、公正中立の第三者機関(外部委員会)のメンバーを意味する。高度の専門性を持った案件を処理できるだけの人材を組織内に確保できない場合、あるいは行政機関が案件(問題)の当事者であり、行政だけで処理することが公平性を欠くような場合、必要に応じて第三者の外部専門家に公正公平な助言を請うためだ。

最近では「原子力ムラ」の一員である政府組織(原子力安全・保安院など)では問題を解明できないとして、複数の福島原発事故調査委員会が組織された。また石巻市では、津波で児童の大半を失った「大川小学校の悲劇」の原因を解明すべく、市当局や市教育委員会の抵抗を排してようやく第三者委員会の設立が市議会で議決された。

三者機関(外部委員会)の存在意義は、高度な専門知識や技術を必要とする案件処理のための助言、すなわち科学的調査にもとづく的確な解決指針の提起にあることはいうまでもないが、それ以上に関係者(担当者や国民・住民など)に対する情報公開が必須であり重要とされる。これは判断が難しく、したがって関係者が対立しやすい複雑な案件の処理に当たっては、第三者機関の解決指針が公開されることによって関係者の間で情報が共有され、案件解決に不可欠な合意が形成されることを促すためだ。

東日本大震災における復興問題の解決方策すなわち復興計画のあり方は、上記の原発事故解明に勝るとも劣らないほど複雑極まる難しい課題だ。とりわけ湾岸被災地における「現地再建」か「高台移転」かをめぐる判断は、被災者のみならず当該自治体にとっても地域の帰趨にかかわる重要案件と言っても過言ではない。とすれば、県レベルでも市町村レベルでも国の方針を鵜呑みすることなく、第三者機関を設けて冷静かつ客観的に復興計画のあり方を検討してもおかしくはなかった。

だが「学生と教員によって必要な調査を短期間でボランタリーに行う」、「復興における半島部特有の課題を共有しながら、浜の復興プランへのアドバイスと模型等による意向調査支援を続ける」といったアーキエイドの趣旨からいえば、この集団は基本的に「ボランティア集団」であって、第三者機関的な「アドバイザー」だと位置づけるのは難しい。

また「「一過性のワークショップからの脱却」を意図して企画したサマーキャンプは、8月の資料とりまとめと市への提出後、2011年10月から新たなフェーズに入った。国土交通省の防災集団移転促進事業(通称:防集)の具体的事業化による高台移転候補地の選定にサマーキャンプの大学チームも順次参加し、住民意見交換会などにも参加を続けていくことになる」ともあるが、この新しいフェーズにおけるアーキエイドの役割と存在意義は、当初のボランティア活動の単なる延長なのか、それとも国土交通省の復興事業を推進する行政機関の「エージェント」(代理人、下働き)への変身なのかも判然としない。

国土交通省の防災集団移転促進事業の具体的事業化による高台移転候補地の選定作業」ともなると、ことは被災者の生活再建とこれからの運命にかかわる重大事項に当たる。これは任意組織であるボランティア団体が為し得るような作業ではなく、地方自治法にもとづく自治体の責任ある行政行為そのものであり、当該自治体の団体自治・住民自治の根幹にかかわる重要案件だと言わなければならない。

ただし誤解を招かないように言っておくが、私はこの種の案件に「アーキエイドが関わるべきでない」と言っているのではない。彼らの豊かな発想と新鮮なアイデア自治体行政に反映されることは大いに望まれることだ。しかし、それは「結果として」反映されることはあったとしても、ボランティア団体が直接的に介入して決定に関与することではない(関与すべきではない)と思うのだ。

実はこの点に関する限りない“建築家的曖昧さ”が、雄勝地区の高台移転計画の不透明さをいっそう助長している。アーキエイドのホームページには、高台移転候補地の選定作業に加わり始めた時期は2011年10月頃からとあるが、雄勝地区の「アドバイザー」は、2011年5月段階の「雄勝地区震災復興まちづくり協議会」の設立段階からすでにコミットしている。すなわちアーキエイドが設立される以前から「アドバイザー」は存在していたのである。

おそらく実態は、大震災発生直後から国や県の指示に従って高台移転計画の具体化が至上命令となり、東北大学石巻市と包括協定を結んだことを契機に東北大学および東京芸大教員が「アドバイザー」という名の“助っ人要員”として石巻市に派遣され、雄勝地区の担当になったのであろう。「アーキエイド活動の一環」というのは後付けの理由にすぎない。

しかし彼らの「アドバイザー」就任は、大震災で技術職員の多くを失った市当局にとってはありがたい人的支援であり、彼らのデザイン力は図面作製において大きな効果を発揮したことは間違いない。だが彼らのキャリアをみる限り、「建築家=デザイザー」としての優れた資質や能力があったとしても、復興計画とりわけ高台移転計画のような被災者の生活と運命を左右するような地域計画の蓄積が十分あるとは思えない。

「デザイナー」では到底対処し得ない複雑な復興計画を市当局が若手の建築家に委ねたこと(利用したこと)、そして「デザイン」の限界を知らない「建築家=デザイナー」が自らのプランを引っ提げて突進したこと、ここに雄勝地区の復興まちづくりの「ボタンの掛け違い」の原点があったのであり、「被災者のアドバイザー」としてではなく「行政のアドバイザー」としての彼らの役割があったのである。次回は、具体的なまちづくり協議会の展開と「アドバイザー」が果たした役割を明らかにしよう。(つづく)