「九条の会」と「96条の会」の関係はどうなる、「憲法改正」に関する世論が激動している(その9)、改憲勢力に如何に立ち向かうか(13)

 記念シンポジウムの終了後、東京の友人が「96条の会」の関係者を引き合わせてくれて深夜まで意見交換をした。これは会場のアンケート用紙にも書いたことだが、シンポジウムの印象を聞かれて私が答えたことは、「集会は素晴らしかったが、具体的方針が見えない」ということだった。登壇した発起人や関係者は口々に96条改憲阻止の意義を語ったけれども、「九条の会」と「96条の会」の連携に関しては(ほとんど)言及しなかったからだ。

 私が最も注目したのは、パネル・ディスカッションに出た小森陽一氏の発言だった。小森氏はいうまでもなく「九条の会」の事務局長であり、会の発足以来10年近くにわたって献身的な活動を続けてきたキーパーソンである。その人が「96条の会」の発起人に名を連ね、パネラーとして登壇したのだから、彼の口から「九条の会」と「96条の会」の関係について何らかの発言があると期待していたのである。しかし小森氏は「九条の会」の活動経過とその成果を淡々と語っただけで、「96条の会」については全く触れなかった。

 小森氏が「96条の会」の発足記念シンポジウムに登壇しただけでも大いに意味がある、と考えるべきなのであろうか。10年近い歴史を持つ「九条の会」と発足したばかりの「96条の会」の連携のあり方を考えることなど、まだまだ時期尚早なのであろうか。しかしこの問題は避けて通れない。なぜなら、このところの憲法世論の変化と維新の失速によって(石原・橋下共同代表の亀裂が拡大している)、安倍首相は7月の参院選の獲得目標を「自民・維新・みんなによる3分の2以上」から「自民・公明両党で過半数を目指す」ことに引き下げたものの、改憲案の発議に必要な3分の2議席の確保については何ら方針を変えていないからである。

 主要国首脳会議(G8)の前にポーランドを訪問した安倍首相は、同行記者団に対して「1回の選挙では不可能。選挙を終えたうえで多数派を得るよう努力する。民主党の中にも条文によっては賛成する人がいる」と語り(2013年6月17日各紙)、維新・みんなはもとより民主党内の改憲派も含めて3分の2を確保する方針を示した。もしこの方針がそのまま実行されるとなると、参院選後には96条改憲をめぐる新たな政党再編が生じることになり、場合によっては民主党改憲派、維新、みんなを巻き込んだ「改憲第3極」が生まれる可能性も否定できない。

 また安倍首相は、同じ記者会見で「平和主義、基本的人権国民主権は3分の2に据え置くことも含めて議論していく」と、条文ごとに発議要件に差をつける可能性についても言及した。これは公明党の主張を取り入れ、参院選後も自公連立で政権運営をしていく基本方針を確認したものであるが、いずれにしても96条の憲法発議要件を引き下げる方針であることには変わりない。96条改憲が安倍首相の政治生命と直結している以上、参院選後には96条改憲をめぐる政策連立や政党再編が起ることは必至であり、その延長線上に国民投票の実施があることも覚悟しておく必要がある。

 問題は、そのような事態に対して(あるいはそのような事態を阻止するために)護憲運動が現在のままの姿でよいのかということだ。憲法9条に関する見解が異なっているからといって、96条の改憲阻止に手を組まないなんてことはあり得ない。現に「96条の会」の発足に関しては「九条の会」の主要メンバーが参加しているのであり、またジャーナリズムの世界ではすでに護憲派改憲派の対話が始まっているのである。

 『世界』2013年7月号では、水島朝穂早稲田大学教授と小林節慶応大学教授が「権力者の改憲論を警戒せよ―立憲主義と96条改憲論をめぐって」と題して対談し、「立憲主義を土俵としたフォーラムを」という注目すべき護憲運動を提起している。具体的には「96条の会」の発足につながる新たな護憲運動方針の提起であり、両氏がともに発起人に名を連ねたことで具体的な動きが始まったのである。

 「立憲主義を土俵としたフォーラム」すなわち「96条の会」の発足は、今後の護憲運動の帰趨にかかわる重大な問題提起であり、参院選後の96条改憲を阻止するための国民投票に直接つながる方針提起でもある。私は、護憲・改憲の壁を乗り越えて結成された「96条の会」の発足は、2004年に「九条の会」が発足したことに引き続く護憲運動の“第2画期”になる可能性を秘めていると考えている。次回からこの問題を中心に議論を深めていきたい。(つづく)