ファッショ自民党、飼い犬公明党、バラバラ日本維新・みんなの党、特定秘密保護法の強行採決が明らかにした日本政治の断面、(改憲勢力にいかに立ち向かうか、臨時版3)

 特定秘密保護法案の強行採決に反対する国会周辺の抗議デモをテレビで見ていて、半世紀前の安保闘争の光景がよみがえった。あの時も国会周辺は万余の抗議デモで包囲され(私もその一員として参加していた)、安保反対のシュプレヒコールが怒涛の如く響いていた。結局のところ安保条約は改定され、日米同盟がその後の日本政治の主軸となったが、国民の声を恐れた自民党政権はその直後から改憲軍事化路線(岸内閣)から高度経済成長路線(池田内閣)へと政策転換することによってこの危機を切り抜けた。

 60年安保闘争の主力は、総評と社共両党からなる統一戦線そして学生運動だった。国会では社会党が3分の1を超える170近い議席衆院)を擁しており、強力な議会闘争を展開した。総評も「むかし軍隊、いま総評」と言われるぐらいの強大な政治的影響力を持っていた。学生運動も健在で、学生デモは沿道の市民から拍手で迎えられるほどの存在だった。

 誰かのセリフではないが、しかし「あれから50年!」である。社会党は消滅し、国会内の護憲政党は全部合わせても10議席余り(衆院)に激減した。総評も姿を消し、連合は秘密保護法の「ヒ」も言わない。学生運動は今や死語と化し、学内では政治ポスターの1枚も見当たらなくなった。国会を取り巻く抗議デモの光景は同じでも、その担い手はすっかり変わったのだ。

 (昔の)革新勢力の端くれを自負する同人ブログ・『リベラル21』は、編集委員会名で11月26日付の「特定秘密保護法案は廃案とせよ」との声明を出し、私も執筆者の一員として署名した。情けないことに私のできることはその程度で、(京都ではそれなりに反対運動に参加しているものの)もはや国会に連日デモをかけるような体力がなくなったのである。

 その代わりと言っては何だが、今回の秘密保護法反対の動きは多様な国民諸階層・市民諸集団が運動に参加することで、安保闘争とは質的に異なる新しい政治局面を切り開いたように思える。数々の団体や組織が反対声明を発表して抗議行動に参加し、その多様で多彩な顔触れは驚くほど広いものだった。法曹界や言論人は言うに及ばず、芸術文化や学術研究の分野からも多数の人たちが反対と抗議の声を挙げた。量的にはともかく質的には安保闘争をはるかに超える政治運動・社会運動が組織され展開されたのである。

 日頃は「体制追随」との批判が多いマスメディアも、今回ばかりは少し違った。テレビでお馴染みのキャスターやコメンテイターが挙って立ち上がり、精力的な批判活動を繰り広げた(だがNHKからは誰も姿を見せず、ニュース9のキャスターなどはまるで他人事のような口調だった)。新聞各紙も(特定紙を除いて)かってない論陣を張った。新しい民主主義の担い手があらわれ、次の政治革新に向かっての重層的な政治的・社会的土壌が形成されたのである。

 これとは対照的に、政治の舞台での政党の姿は実に見苦しかった(醜悪だった)。自民党は「アベノミックス」などで粉飾しているが、本体は正真正銘のファッショ政党であることを暴露した。かっては「右から左まで」といわれた国民政党としての面影は露ほどもなく、いまや自民党は「右ばかり」の極右政党に変貌したのである。一方、公明党自民党にブレーキをかける存在などと言っていたが、その実体は自民党の忠実な「飼い犬」に過ぎなかった。それも主人の手を滅多に噛まない従順な飼い犬だ。自公政権にとっては国民世論も民主主義もすべて死語と化したのである。

 一方、日本維新とみんなの党はまるで政党の体をなしていなかった。本質は極右政党でありながら、政治基盤が弱いために国民の批判を恐れて右往左往したのである。政治危機の時には政党の本質があからさまになると言われるが、即席で作られた「寄せ集め集団」の実態が白日のもとに曝され、政党として統一した行動を取れなかった。その結果が相次ぐ議場からの「退席戦術」と投票からの「棄権戦術」の連発となり、維新とみんながいったいどこへ行ったのかわからなくなったのである。

 自民党政権は、安倍首相の「してやったり!」の表情にも見られるごとく、目下、強行作戦に次ぐ強行作戦に終始している。だが国会では強行採決で秘密保護法を通したものの、政治的・社会的には深い手傷を負ったことは間違いない。そしてこの手傷は、今後の消費税増税、TPP参加によってさらに広がり「致命傷」に転化していくだろう。自民党政権は60年安保闘争に政策転換したような「切り札」をもはや持っていない以上、残された道はアメリカ主導の日米同盟の道を進む以外になく、それはやがて自公政権が消滅する道でもある。各紙の次回世論調査の動きを注視したい。