公明党の保守与党化(完了)が「野党再編」効果を薄めた、一強多弱の政局は変りそうもない、維新と野党再編の行方をめぐって(その35)

集団的自衛権閣議決定後、マスメディア各紙の関心は内閣改造と野党再編に移ったかに見える。拙ブログの公明党シリーズに対しても、「もういい加減にして、橋下維新の動向に焦点を合わせるべき」との声がしきりに聞こえてくる。大阪維新の現状を見るに、府議大阪市議の離党の噂は依然としてあとを絶たないし、それどころか議員の醜聞までも加わって相変わらず賑やかなことこの上なしだ。

橋下市長や松井知事についても話題を欠かない。このところ大阪都構想の協議をめぐって維新と反維新の対立が抜き差しならぬ段階に立ち至り、維新提案の議案は悉く否決されている。また、議事運営に関しても議長(維新)問責決議案が可決されるなど、議会がもはや機能不全に陥っている。しかし、首長権限の「再議」連発によって(維新が3分の1以上の議席を占めているので)、またそれがひっくり返るといった混乱状態が続いているのである。

だがこの状態は、維新がもはや「死に体」であることを物語っている。その象徴とも言える写真が先日各紙で大きく掲載された。職員の思想調査が不当労働行為に当たるとした府労働委員会の命令によって橋下市長が謝罪に追い込まれ、報道陣の前で市労連委員長に深々と頭を下げたのだ。

この光景は、大阪ダブル選挙で橋下氏が知事から市長に鞍替えした直後、市労連委員長が橋下市長に最敬礼したときと全く逆の構図になっている。それ以前の市政では当局と癒着していた市労連が橋下市長に擦り寄ろうとして(少数派組合はそんな馬鹿なまねはしない)、当時の委員長が報道陣の前で頭を下げた瞬間をカメラが捕らえたというわけだ。私もブログに書いたが、労働組合への攻撃を裏の談合でかわそうとした市労連の卑屈な姿勢があの光景になってあらわれたのであって、その後の橋下市長の組合攻撃の格好の呼び水になった。

だが、今は違う。さすがの市労連も今までのような裏取引では勝てないことを悟ったのか原則論に立ち戻るようになり、不当労働行為に対しては府労働委員会に提訴して闘うようになった。そうしなければ、市民の支持も得られないし、組織を守れないこともわかったからだ。その意味で、今回の橋下市長の市労連に対する謝罪は組合とともに闘った市民への謝罪であり、それを勝ち取った市民の勝利だといえる。

話を戻すが、私がなぜ公明党のことを書くかといえば、それは公明党の保守与党としての立ち位置が明確になったことによって、今後の野党再編の方向がこれまでとは異なった様相を見せ始めたからだ。公明党集団的自衛権の行使容認に踏み切らない場合、安倍首相は公明党を切って日本維新の会と手を組むことは十分に予測できた。しかし公明党が連立政権にあくまでもしがみつくと言う政治選択をした結果、公明党に変わって与党入りをするという維新の野望は崩れ、維新分裂につながった。

集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定後、自公連立政権はますます強化されているように見える。石原新党が揺さぶりをかけてもビクともしないし、維新と結い・みんなの新党結成も難航している。また民主党を分裂させて与党入りを狙っていた党内改憲グループも気勢をそがれ、分裂するエネルギーもないままに居座りを続けている。公明党の与党宣言によって野党再編の旗と機会が奪われ、与党入り願望の各党はこれからどうしていいか展望を描けなくなったのだ。

そんな野党各党の混迷状態を反映してか、8月に入ってから各紙は一斉に野党再編に関する連載記事を掲載し始めた。読売新聞は「政治の現場、野党再編」を8月5日から、日経新聞は「野党、混迷の出口は」を8月7日からで、いずれも民主党を中心に動向を探っている。しかし、日経の見出しが「再建へもがく民主、対決か責任野党か 旗探し」、読売が「多弱返上へもがく、非自民結集 過去3度」とあるように、「もがく」民主の行き先が見えない。民主党自体が四分五裂の状態にあるのだから、書き様がないのだろう。

そんな中で、公明党の動向に的を絞った毎日新聞産経新聞の連載が面白かった。毎日は8月5日から6回、産経は8月8日から3回、両紙とも公明党がいまだ「中道政党」のような体裁で始まっているが、結びは「完全与党」になったとの分析で終わっている。ちなみに、毎日のタイトルは「中道はいま、公明党結党50年」、産経は「かすむ航路、公明党 集団的自衛権の余波」というもので、集団的自衛権に関しては両極にある両紙が、公明党に関しては同じ結論にたどり着いているところが面白いのだ。次回は両紙の連載を分析する。(つづく)