野党選挙協力なんて「どこ吹く風」、国政選挙並みの京都市長選では自民、公明、民主、社民各党が「反共統一戦線」を組んで現職候補を支援している、2016年参院選(衆参ダブル選)を迎えて(その7)

 2016年京都市長選の投開票日が2月7日に迫った。3選を目指す現職の門川大作氏(65歳、自民、民主、公明、社民府連推薦)、新人で元市教組委員長の本田久美子氏(66歳、共産推薦)、元京都府議の三上隆氏(85歳)の3氏が立候補している。一時、「京都維新の会」と組んで出馬が予想されていた「京都党」(京都の地域政党)代表が「保守票が割れて共産党を利する」との理由で候補を降ろされ、事実上門川、本田両氏の対決選挙となった。

 先週末の1月30日(土)、私がいつも買物に行く伏見区の大手筋商店街は異様な雰囲気に包まれていた。物々しい警護の中を黒い背広の一群が報道陣に囲まれながら商店街を端から端まで練り歩いたのだ。現職の門川候補を中心にして、自民党谷垣禎一幹事長、丸川珠代環境相公明党北側一雄副代表、民主党泉健太府連代表ら錚々たる面々の「揃い踏み」である。

 自民党が選挙になると(内心はどうあれ)街頭演説会で門川候補を天まで持ち上げるのはいつものことだが、公明党北側副代表の演説などは「共産党市長になれば京都市政は停滞する、京都は京都でなくなる」との反共攻撃一点張りで、その敵意の凄まじさが際立っていた。聞けば、公明市議団はどこの演説会でも北側流の激烈な反共演説をぶつのだそうだ。

注目されたのは、民主党泉府連代表の演説だった。泉府連代表は終始門川候補の傍に付き添い、演説では「国政では民主は自公と戦うが、京都は京都だ。国政選挙と市長選挙は違う。憲法云々が市長選の争点にはなるわけがない」と居直り、自公相乗り選挙をのっけから正当化した。つい先日までの安保法制国会では、民主党自民党と乱闘まがいの対決姿勢を示していたのに、それが京都へ帰ってくると一転して手と手を握り合う関係になるのである。

京都市長選が「京都は京都」で国政選挙でないのはもちろんだが、それなら国政政党の幹部が京都で「揃い踏み」することなんて考えられない。加えてこの2、3日は、石破地方再生相、稲田自民党政調会長などの自民党要人が次から次へと京都入りをして「共産市長阻止」の演説をぶって歩いている。それと民主党が行動を共にしているのだから、誰が見ても「国政も京都も一緒」ということになる。政治とは不思議極まりないものだが、それでも街頭演説会に詰めかけた支持者たちはやんのやんのの喝さいなのだ。

京都と言えば、民主党国会議員が4人(衆院3人、参院1人)もいる民主党の牙城地だ。根絡みの改憲論者の前原氏はともかく、安保法案反対の論陣を張った福山哲郎氏(夏の参院選で改選時期を迎える)などが自民党と手を組むことなど常識では到底考えられない。ところが、そんな福山氏でさえも市長選挙になると「共産党候補と徹底的に戦う」と闘争宣言するようになるのだから、京都の反共戦線の根は底知れぬほど深い。参院選での野党選挙協力など「どこ吹く風」といった空気が市内一円に充満している。

なぜこんな「どこ吹く風」が京都では吹くのか。その説明には、民主党の支持基盤である(京都市労組を中心とする)「連合京都」の動きが参考になる。部落解放同盟支部民主党のポスターが張られているように、民主党と連合京都(市労組)の同和行政を通しての関係は根深い。同和行政継続のために門川市政を維持することが彼らの至上命題である以上、民主党が同和行政の終結を主張する共産党とは「絶対に手を組めない」のは当然だろう。

京都の特殊事情はさておき、全国的に見ても野党選挙協力は難航している。こんな情勢を見透かしてのことか、安倍首相が衆院解散を4月に断行するのではないかという新たな観測が急速に広がっている。2月3日の毎日新聞が伝えるところによると、安倍首相主催の「桜を見る会」が例年より早い4月9日に設定されたため、衆院解散・総選挙が同月中にあるのではないかという臆測がにわかに広がっているというのである。自民党関係者は4月解散によって「夏の参院選に向けた野党連携が機能しなくなる」と4月解散の効用を指摘しているのだそうだ。4月解散説は、衆参同日選に反対する公明党を説得しやすい、5月下旬の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に影響しない、内閣支持率が堅調で推移していることも根拠になっているという。

 衆院の解散カードは首相が一手に握る「首相大権」だといわれる。安倍首相は2月3日の衆院予算委員会で「戦力の不保持」を定めた憲法9条2項改正の必要性に言及し、自衛隊についても「国内外で活動を積み重ね、いまや国民の支持は揺るぎない」と強調したうえで、自民党改憲草案は「9条2項を改正して自衛権を明記し、新たに自衛のための組織設置を規定するなど、将来あるべき憲法の姿を示している」と説明した(各紙、2月4日)。従来の見解からは一歩も二歩も踏み込んだ発言であり、4月解散・総選挙があながちあり得ないことではなくなった。(つづく)