京都市長選に“泥”を塗った自民党・宮崎謙介衆院議員(京都3区選出)の「不適切行為」、4月補欠選挙で自民党は候補擁立できるのか、2016年参院選(衆参ダブル選)を迎えて(その10)

 こんな聞くも汚らわしく忌まわしい不祥事は、出来ることなら書きたくなかった。これが他府県で起こったことなら、見向きもしなかったに違いない。しかし、京都3区は私が在住している伏見区だから、自宅周辺の自民党掲示板には宮崎氏のポスターが至る所に張られている。1有権者としては黙って見過ごすわけにはいかないのである。

 それに宮崎氏の「不適切行為」(セックス・スキャンダル)による議員辞職は、直ちに京都3区での4月補欠選挙の政治情勢にも影響する。過去2回の衆院選で宮崎氏がトップ当選を果たし、小選挙区議席を獲得できず比例当選にまわった泉健太民主党議員がすでに立候補表明しているので、自民党が果たして新たな候補を擁立するのか(できるのか)が今後の焦点になる。

宮崎氏の「不適切行為」は、2月10日発売の『週刊文春』で初めて明らかになった。だが、テレビのトークショーなどではもっぱら「育児休業宣言」をした「イクメン宮崎」の側面に焦点が当たっていて、女性の期待を裏切ったとする意見が大半で支配的だ。女性の出産に伴う負担を軽減して男女共同参画社会を実現するためには、男性の育児休業制度はもっと活用されてよいとの世論が盛り上がっていた時期だけに、その反発が大きいのだろう。宮崎氏の国会議員初の「イクメン」提起は実に効果的だった。おまけに夫婦2人とも国会議員であることが、これに「花を添えた」ことは言うまでもない。それだけに「だまされた」「裏切られた」との反発が大きいのだ。

だが、私は地元有権者の一人として、宮崎氏の「不適切行為」が過日行われた京都市長選に「泥」を塗ったことを重視する。宮崎氏が女性タレントを自宅に泊めたとされる1月30日(土)から31日(日)にかけては、京都市長選は投票日1週間前の「ラストサンデー」として最盛期を迎えていた。2月4日の拙ブログでも書いたように、1月30日(土)の伏見大手筋商店街では、現職門川候補を中心にして、自民党谷垣禎一幹事長、丸川珠代環境相公明党北側一雄副代表、民主党泉健太府連代表らが商店街を練り歩き、宮崎議員も地元選挙区とあって大張り切りで駆け回っていた。各紙の京都版には、一行の行列の中に宮崎氏の姿が大きく映っている。

宮崎議員が支持者集会をハシゴして自宅に戻ったのは深夜をまわっていたが、そこに待ち受けていた『週刊文春』のカメラマンに写真を撮られた。もちろん彼の自宅に「先着」して待っていた女性タレントの写真も含めてである。要するに、宮崎氏は「不適切行為」のために京都へ帰ってきたのであって、京都市長選はそのための口実でしかなかったのである。こうして翌日の写真も含めて動かぬ証拠を突き付けられた宮崎氏は、当初は「ごまかして逃げるつもり」だったが、日ごとに高まる女性の反発を危惧した自民党幹部の判断で辞職に追い込まれた。しかし本人は未練たっぷりで、自民党を離党することなく「一からやり直したい」のだそうだ。

この「不適切行為」は、大阪ダブル選挙のときの中山泰秀衆院議員(自民党大阪連会長)の行動とそっくりそのまま重なる。中山氏は大阪府知事選・大阪市長選のダブル選のさなかの昨年10月20日夜、都内の高級クラブのホステスとのホテルでの密会をこれも『週刊文春』のカメラマンに撮られ、記事とともに現場写真が10月29日発売の『週刊文春』に掲載された。

中山氏のことだから「よくあること」と言えばそれまでだが、しかしこの日の午前は、自民党本部で安倍首相からダブル選の候補者に推薦状が直接渡された日なのである。党本部に集まった府連幹部はすぐに大阪へ帰り選挙活動をしていた中、その最高責任者である中山氏だけが東京に居残り、「不適切行為」に耽っていたというわけだ。しかし、中山氏の場合はマスメディアの話題にならなかった。誰が手を回したのか知らないが、表沙汰になると自民推薦候補に不利になるというので封印されたのだろう。

宮崎氏の場合も2月7日投開票の前に事態が明らかになれば、京都市長選の模様はかなり変わっていたかもしれない。『週刊文春』は1月末に彼の現場写真を撮り、すぐ後で直接会って確認のための質問までしているのだから(それもカメラ撮りを含めて)、2月3日の発売日に合わせることも不可能でなかったはずだ。1週間遅らせたのは、「武士の情け」からなのか、単なる編集上の都合からなのか、真相はわからない。

谷垣幹事長は「若手の教育をしなかった結果こうなった」と詫びていたが、そもそも京都とは何の縁もない宮崎氏を「落下傘候補」として選んだのは、谷垣氏ら自民党幹部ではなかったか。身体検査も十分にしないで、長身の「イケメン」なら女性票を獲得できる程度の(有権者を馬鹿にした)選考基準で選んだ結果がこのざまなのだ。京都に縁のない宮崎氏は普段は東京で暮らし、週末に自宅に戻る(来る)だけの生活で地元との接点も少ない。それでいて選挙ではトップ当選するのだから、京都3区の有権者もいい加減なものだ。こんな所に住んでいるのが恥ずかしい。

要するに、宮崎氏も中山氏も「この程度の人間」というのが自民党議員の本質なのであって、「若気の至り」でもなければ「未熟さの故」でもない。上半身がなくて「下半身だけ」の人間が「議員」と称しているだけのことなのだ。それが「イケメン」だけでは足りないと思ったのか、「イクメン」を気取ったところに落とし穴があったのである。

4月12日告示、4月24日の衆院補欠選挙は、夏の参院選の前哨戦としてもっぱら北海度5区に焦点が当たっていた。北海度で野党選挙協力が成立するかどうかが全国の試金石になるとして注目されてきたのである。しかし、京都3区でも補欠選挙が行われるとなると、話は単に野党選挙協力程度のことではなくなる。宮崎氏のような人物を「落下傘候補」に仕立てた自民党の責任がどう問われるのか、それが安倍政権への批判とどう連動するのかが新たな焦点となり、新しい局面が現れたのである。

それに最近は、安倍内閣閣僚の問題発言が続いている。福島原発放射能汚染の除染目標である年間1ミリシーベルトを「何の根拠もなく当時の環境省が決めたこと」と言ってのけた丸川環境相、北方担当でありながら「歯舞諸島」を読めなかった島尻沖縄及び北方担当相、「放送内容によっては電波廃止もありうる」と放送界を恫喝した高市総務相などなど、こちらの方は下半身ならぬ「上半身」の中身が疑われる発言が続いている。宮崎氏の姿とこれら問題閣僚の姿が重なると、自民党は「上下とも怪しい」ことになり、このような問題閣僚を放置する首相の任命責任がクローズアップされることになる。

加えて安倍首相にとって衝撃的なのは、株価が1万5千台を割り、しかも行く先が見えないことだ。どんな世論調査でも「景気がよくなった実感がない」と答えながら、それでも「安倍内閣の経済政策に期待する」とはかない望みを託してきた人たちが安倍政権を見限るときが近づいている。京都3区の衆院補欠選挙は、安倍政権の行方を占う試金石となったのである。(つづく)