前川文科省前事務次官の証言は衝撃的だった、安倍首相のG7サミット行きはこれが最後になるかもしれない、国民世論は「脱安倍」へと着実に向かい始めた(27)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その58)

5月25日、安倍首相は例の如く昭恵夫人と手をつないで政府専用機のタラップを上った。首相が最も得意とする華やかな外交舞台への出発なのだから、満面の笑みを浮かべて手を振ったものの、その心中は如何ばかりか。当日は週刊文春の発売日、各紙の広告欄には「『総理のご意向』文書は本物です」「文科省事務次官独占告白150分」との宣伝文句が大きく踊っていたからだ。

前川氏は朝日の取材にも応じ、その内容は1面トップで「加計学園 『総理のご意向』文書、前次官『担当課から提示』」との大見出しで伝えられ、この他3面と31面で詳しい解説記事と一問一答が掲載されている。これらの記事を読めば、疑惑の全容が余すところなく解明されており、菅官房長官の「総理のご意向文書=怪文書」発言などは木っ端微塵に吹っ飛んだと言えるほどだ。毎日も日経も同様の趣旨の記事を載せている。

傑作なのは、安倍首相の御用新聞・読売の扱い方だ。産経の方はそれでも申し訳程度の小さな記事を片隅に載せているが、読売の方はどこを探しても見つからない。私は、安倍首相の勧める通り目を皿のようにして読売を「熟読」したが、どこを探しても加計学園の「カ」の字も見つからないのである。どう書いても安倍首相の疑惑を深めることになるので、何も書かないことにしたのだろう。これでは「完落ち」ならぬ「完黙」(完全な黙殺)ではないか。

新聞は「ファクト」(事実)を伝える媒体なのに、これほどの大ニュースを1行も報じないのはどうしてなのか。戦時中の大本営よろしく読売には内部に「検閲組織」があって、安倍首相に傷がつくような記事はすべてカットされる仕組みになっているのだろうか。事実を伝えない新聞などもはやまともなメディアとは言えないし、ジャーナリズムとしては自殺行為そのものだ。これでは不買運動が起ってもおかしくない次元に達しているというべきだろう。

前川氏は25日午後、改めて記者会見を開いた。今朝の新聞はまだ全部見ていないが(読売、産経がどう伝えるかが見物)、毎日は1面、3面(分析・解説)、29面(社会)の各角度から問題を掘り下げ、社説でも「『加計学園』問題で新証言、もう怪文書とは言えない」と主張している。主旨は以下のようなものだ(要約)。

(1)菅官房長官は、「総理のご意向」文書を「誰が書いたかものか分からない」などと述べ、「怪文書」扱いにし、さらに「首相からの指示は一切ない」と否定している。文書の調査をした松野文科相も「存在が確認できなかった」と発表している。
(2)しかし当該文書は、文科省事務方トップの前川氏の証言で、「昨年秋に獣医学部新設を担当する専門教育課から説明を受けた際に受け取ったもの」であることが明らかになり、前川氏は「あったものをなかったとはできない」と言明した。また、「まっとうな行政に戻すことができずに押し切られ、行政がゆがめられた」と指摘した。
(3)事務方トップの新証言で、文書が存在するかしないか、怪文書なのか本物なのかといった問題の局面が変わり、いまや当該文書は「総理の意向」に基づくものか、内閣府の忖度(そんたく)によるものなのかが問われる事態になった。
(4)前川氏は国会の証人喚問に応じる意向を示しており、野党も国会での参考人招致や証人喚問を求めている。しかし、官房長官は依然として否定的な発言を続けており、与党は参考人招致でさえ反対している。国会の場で前川氏に証言してもらい、真相を明らかにしなければ国民の疑問は解決されない。

「森友疑惑」に引き続く「加計疑惑」の進展によって、ことはもはや個々の事件(疑惑)の解明に止まることなく、安倍政権そのものの信任が問われる事態にまで発展してきている。「前次官、官邸に反旗」(毎日、5月26日)、「文科前次官、異例の告発」(日経、同)との見出しにもあるように、安倍政権を支えてきた官僚機構の一角が漸く崩れ、さらにそれが拡大しつつある。官邸や与党が国会による疑惑究明を拒否し続ければ、この動きはさらに高まり、内部告発や秘密文書のリークが相次ぐ事態に見舞われるだろう。

これが官僚機構の本丸・財務省の反乱にまで及べば本格的な政変になるが、目下まだその兆候は見られない。しかし「一寸先は闇」の政界のこと、文科省前次官の反旗によって事態の局面は明らかに変わった。安倍首相の帰国を待っているのは「追い風」から「向かい風」への風向きの急変であり、世論の急変である。すでに内閣支持率の低下は始まっているが、それが本格化するのは安倍首相の帰国後であろう。(つづく)