国民に説明できない野党再々編の破綻、大義なき民進・希望の統一会派協議が明らかにしたもの、立憲民主を軸とした新野党共闘は成立するか(13)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その100)

 民進、希望両党は1月17日、双方の執行部間で進めていた統一会派結成を断念した(というよりは、白紙撤回に追い込まれた)。民進は両議員総会で異論が続出して了承が得られず、これを受けて希望も協議の打ち切りを決定した。民進・希望両党を軸とする野党第1党会派結成の策動はこれでいったん中止に追い込まれ、1月22日召集の通常国会は、立憲民主が野党第1党としてイニシャティブを握ることになった。

 この間の民進・希望両党による統一会派結成、延いては新党結成を視野に入れた一連の策動は、政党理念や基本政策を棚上げにした「大義なき野党再々編」の動きとして国民に深い失望を与え、政治不信を一層増幅させた。その仕掛け人となった大塚民進代表の言い分を聞いてみよう。大塚氏は、その意図を次のように語っている(毎日新聞「どうする3野党」2018年1月17日)。
衆院小選挙区制の下では野党が塊になって選挙に臨むことが必要だ。国会運営上も会派として大きな塊になる方がいろいろな面でプラスになる。国会で与野党が拮抗した議論を行うことは国民にとってプラスになる。3党の統一会派、さらには他の野党も巻き込んだより大きな統一会派結成を目指したい」。

 この主張を普通の人が言うのであれば、当たり前のことで何の不思議もない。「その通りだ」との声が返ってくるだろう。だが、発言の主は民進党国会議員(参院)であり、僅か3カ月前に前原前代表の民進解体・希望合流の提案を「満場一致」で了承した当該者の一人なのだ。2016年参院選1人区での野党統一候補の擁立など、それまで積み重ねられてきた野党共闘の努力を一挙にご破算にする策動に直接手を貸した一人なのである。

 国民を馬鹿にするのもいい加減にしろと言いたい。3カ月前に全国を震撼させた民進解体劇を棚に上げ、その当人がまるで何事もなかったかのように口を拭って当たり前のことを言うのである。こんな人物を代表にいただく政党を信用する有権者がいったいどこにいるのか、胸に手を当ててよく考えてほしい。

 加えて不思議に思うのは、希望との統一会派結成に向けての実務者協議に当たった民進側の責任者が、増子幹事長(参院)と平野国会対策委員長(衆院)だったことだ。増子氏は、2016年参院選福島選挙区から野党統一候補として当選したことをよもや忘れてはいまい。平野氏は、昨年総選挙で大阪11区から市民と野党の共闘で当選したばかりだ。両氏の当選は辛勝そのものであり、野党共闘の力を借りなければ絶対に当選できなかった。そのご当人が自分たちを「排除」した相手側と手を組むことに何の痛みも感じない。両氏を推した市民や野党各党はいまどんな気持ちでいるか、両氏は一度でも考えたことがあるのだろうか。

 市民と野党共闘は必ずしも「スペードのエース」とは限らない。議席確保だけが目的で野党共闘はその手段でしかないと考える「ジョーカー」のような人物は山ほどいるのである。そんな人物を統一候補に擁立した選挙区の有権者は不幸そのものだ。大阪11区の地元・枚方市在住の私の友人などは、平野氏を「見る目がなかった」と悔やみ、夜も眠れないほどの怒りに襲われると話している。民進の希望への接近は二重三重の有権者への裏切りとなって政治不信を増幅させ、野党共闘への道をさらに険しいものにしている。

 しかし、もう一人、さらにその上をいく人物がいる。知る人ぞ知る、神津連合会長その人である。神津氏は民進解体劇のシナリオライターであり、かつ立ち合い執行人の一人だった。連合は民進の支持母体として絶大な権力を行使し、神津氏は労働団体を牛耳ることで財界から保守二大政党制を確立する使命を託されたキーパーソンだ。神津氏はその使命を果たすべく、前原・小池両氏と結託して民進解体に踏み切ったのである。

ところが、小池氏の「勇み足」で保守第2党結成の策動が失敗に終わると、その後は何事もなかったかのような言動に終始しているのだから驚く(呆れる)。民進内で希望との統一会派結成をめぐって議論が紛糾していたそのときも、神津氏は一貫して執行部案を後押ししている。

1月16日夜、都内で開かれた「無所属の会」(岡田克也代表)で希望との会派結成に否定的な声が相次ぐにもかかわらず、神津氏は「昨年は私どもにとって不本意なことばかりだった。(統一会派は)不本意なことを本位なことにひっくり返していく営みの一つだ」と評価したというのである。これを受けて民進執行部の一人は、「こぼれるのは織り込み済み。もう引返せない」と述べ、反対・慎重論を押し切る構えを見せた(朝日新聞、2018年1月17日)。

 朝日新聞は、翌日の朝刊でもその内部事情を次のように解説している(2018年1月18日)。
 「昨年の衆院選立憲民主党と希望とに3分裂した民進が、両党に統一会派結成を呼びかけたのは12月。(略)来夏の参院選で組織内候補を擁立する連合の意向に沿った対応だった。連合幹部からは『民進の名前では戦えない。遅くとも1年前には明確な新党にしてほしい』と伝えられていた。党の支持率も1%程度でジリ貧。希望との連携を先行し、衆院で野党第1党会派を奪い、国会での主導権を握る――のがねらいだった」

 いつまでも「連合の傘」の中から抜け出せない民進には未来がない。それは希望も立民も同じことだ。野党再々編の行方は連合と手を切るかどうかに懸かっている。(つづく)