右往左往する子ネズミたちの政治的役割、(麻生辞任解散劇、その18)

 自民党の泥船化が一路進む中で、自民党議員はもとより地方自治体首長の動きも活発化している。いわば泥船が沈没する前に、どこの船に乗り換えようかと右往左往しているのである。なかでもお笑い芸人やテレビタレント出身の首長の動きが目立つ。「いよいよ自分たちの出番だ」と思っているからだろうが、なかには「千載一遇のチャンス」とまで言っているのがいる。

 これら一連の茶番劇や田舎芝居は、目の肥えた観客からすれば見苦しいことこの上もない。しかし、日頃からお笑い番組やドタバタ劇しか見ていない人たちの目には、結構面白おかしく映っているのかもしれない。そうでなければ、本人も芸能事務所もこんな筋書きは書かないだろう。とにかく「視聴率」(支持率ではない)が上がっていることだけは確かなのだ。

 彼らの荒唐無稽な(あるいは傍若無人の)振る舞いが、今後どのような政治ドラマとして展開するのか、その結果はどんな政界再編と結びつくのか。目下、このことにマスメディアや世間の関心は集中している。だが、国民は舞台上のドタバタ劇の進行だけではなく(というよりは、それに目を奪われて)、「舞台裏」でいったい何が起こっているのかということを忘れてはならないだろう。そして、そのことを解き明かすキーワードが「地方分権」なのである。

 東国原氏も橋下氏も口を開けば「地方分権」しかいわない。これは、かっての小泉郵政選挙を猿真似した選挙戦術にすぎないとの見方もあるが、私はそうではないと思う。彼らのいう「地方分権」は、現在の市町村自治体の行財政権限を立て直して、住民への生活サービスを充実させることではないからである。要するに「道州制の実現」を「地方分権」だと言っているだけの話なのだ。

 「道州制の導入」は財界の長年の懸案である。とりわけ橋下知事のお膝元の関西財界では、このことはもはや「悲願」の域にまで達しているといってよい。関西経済を復活させるには、府県制を廃止して関西州を実現する以外に方法がないと言いきるほどの力の入れようだ。財界総本山の日本経団連においても、道州制の実現はかねてからの懸案事項であり、すでにその行程表までがつくられている。

 アメリカのサブプライムローンが破綻し、世界金融危機が爆発した直後、御手洗日本経団連会長は、『文芸春秋』2008年7月号に「今こそ平成版所得倍増計画を」という論文を寄稿している。その主旨は、(1)いま、日本経済は世界からずり落ちようとしている、(2)その原因は、日本が社会全体として「グローバル化」に対応しきれていないからだ、(3)日本を「希望の国」「安心の国」にするには、グローバル化に対応できる経済成長以外に方法がない、(4)いまの日本にとっての最大の課題は、成長力の強化であり、この国が成長力を取り戻すためには、「インフラの整備」と「道州制による地方分権」に向かって「選択と集中」へ舵を切る他はない、というものだ。

 なぜ「インフラ整備」と「道州制」が経済成長力の強化につながるのか。「道州制とは、一言でいえば、行政の選択と集中である」、「道州制が実現すれば、行政のスリム化は加速し、自立した経済圏が形成される」と御手洗氏はいう。府県を廃止してさらに市町村大合併を繰り返し、地方議員や地方公務員を大幅に削減して地域住民への生活・社会サービスを低減すれば財源が生み出され、国際標準の空港・港湾・道路を建設することが可能になるというのである。

 自民党民主党もこの点については基本的に異論がない。これまで足を揃えて平成大合併を推進してきたのも両党だし、道州制の実現についても次期総選挙マニフェストでより具体的な政策を挙って打ち出すと聞く。全国知事会も基本的にはこの方向で合意している。東国原氏が「知事会のマニフェストを一字一句たがわず、自民党の公約にしろ」というのはこのためだ。

 だが問題は、国民の世論だろう。消費税の大幅増税を自民・民主両党が基本政策として掲げながら、「当分は増税しない」と言わざるを得ない事情とよく似ている。道州制についても同様の懸念を抱かざるを得ない状況がある。ただでさえ、広域合併によって過疎市町村が切り捨てられているというのに、この上、府県までが廃止されれば、それこそ「国土の選択と集中」につながり、至る所で「地域が棄てられ、住民が棄てられる」といった事態が起こりかねないからである。

 だから道州制の実現にはなかなか工夫が要る。事柄の本質を隠して「何となくそれらしい雰囲気作り」をする道化師やチンドン屋が必要なのである。橋下氏が「地方分権を軸とした首長連合」や「地域新党」の構想をぶち上げているのも、東国原氏が連日テレビで「地方分権」を大宣伝しているのも、全ては今後に想起される本格的な道州制論議の「前宣伝」を買って出ているとみるべきなのだ。

 昨日の静岡県知事選挙では、民主党推薦の川勝平太氏が当選したという。川勝氏といえば、阿部内閣の教育再生会議のメンバーだし、「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者でもある。自民党真っ青の右派イデオローグが「民主党候補」として堂々と出馬してくるのだから、時代も世の中もそれほど単純でも簡単でもなくなってきた。

 しかし予測されることは、今後この種の政治イデオローグ首長が知事や市長として次々と登場してくるだろうということである。「地方から反乱」を起こす振りをしながら、その実は「財界と霞が関トロイの木馬」としての役割を担うのである。その点で橋下氏と東国原氏の動きはまさに注目に値する。彼らは目下「右往左往する子ネズミたち」であることは間違いないが、「ネズミも走れば棒に当たる」こともあるのである。ひょっとして、それが「道州制」実現の導火線にでもなれば危険極まりない。

 お笑い芸人もテレビタレントも馬鹿にはできない。その仮面の裏側にある「素顔」を、国民がしっかりと見抜く眼力が求められるときが来たのである。