空港問題に見る“神戸市民力”の衰え、(神戸空港はどうなる、その2)

去る2月16日、神戸市役所前でこれまで神戸空港建設反対の市民運動を続けてきた各団体が集まり、「神戸空港開港4年抗議集会」が開かれた。集会後、「神戸空港問題は終わったのか?―開港4年を問う」という共同アピールを出された。だが率直に言って、その文面から受ける印象が痛々しいほど弱いものだったのには驚いた。

そういえば、矢田神戸市長の発言力、発信力もこのところ凋落の一途をたどっている。先月27日、橋下大阪府知事が開港4年を迎える神戸空港について「神戸空港は絶対に失策ということを市民一人一人が認識すべきだ」、「伊丹を除く関西、神戸の海上2空港で連携を図るべきだ」と例によって発言したが、矢田市長は2月10日の定例会見で、「これまでの経緯を無視して、他人の座敷に踏み込んでくるのはよろしくない」といった低レベルの不快感を示す以外に反論らしい反論をすることができなかった。

他の自治体の出来事だからといって、当該自治体以外の首長が発言したり批判したりできないのであれば、それは言論の自由がなかった封建時代の鎖国状態となんら変わることがない。まして大阪と神戸は隣同士の自治体だ。大阪と神戸の市民は、日々の通勤や通学、仕事や買い物で行き来しているのであって、そこに境界や関所があるわけでもなんでもないのである。

神戸空港開港4年の約1カ月前の1月17日は、「阪神・淡路大震災15年」だった。私も神戸市長田区の真野地区で開かれた記念集会に行ってきた。東京からもかっての支援者が数多く訪れ、まるで同窓会のような懐かしい光景があちこちでみられた。阪神・淡路大震災のときは日本中からボランティアが救援に駆けつけたが、そのときの兵庫県知事や神戸市長は、「これは自分たちの地域のことだから(ほっておいてくれ)」と言ったであろうか。

神戸空港問題については、この他、経済界からも発言が相次いでいる。関西3空港懇談会座長の下妻博関西経済連合会長は、先月「神戸空港阪神・淡路大震災による思いやり空港」と発言した。この発言に対しても、矢田市長は「どういう意味で発言したのか理解しかねる」といっただけで、反論も抗議もしていない。相手の発言に非があるのであれば堂々と抗議すべきだし、事実関係に間違いがあるのであれば訂正を求めなければならない。だが、それができないのである。

いま国会では鳩山首相が「平成の脱税王」と罵られ、小沢民主党幹事長が「嫌疑不十分幹事長」とマスメディアで揶揄されても反論らしい反論ができない。それが国民の政治不信感を極度にまで高め、絶望的ともいえる閉塞感を招いている。世界有数の経済力を持ちながら、これほど元気のない国民は世界中のどこを探しても見つからない。それと同じことがいま神戸で蔓延しているのではないか。

思えば、この閉塞状態を打開するひとつのチャンスがこの前の神戸市長選だった。だが愚かにも、市当局も市議会もそれを実行に移せなかった。それどころか労働組合革新政党もその「大局」をつかむことができなかった。戦後半世紀以上にもわたって「市役所一家体制」の後遺症が余りも大きく、負の遺産清算できなかったからである。

通常ならば、これまでの支配体制にミスが生じれば、対抗勢力や反対勢力に勢いがつくはずである。ところが大阪ではその状況が橋下知事を生み出し、神戸では助役上がり市長が依然として居座っている。前者は、大阪府民の「無責任感」が劇場政治を野放しにし、後者は神戸市民の「無気力感」が矢田市政の継続を許している。そして「神戸翼賛体制」に敢然と立ち向かった市民運動までが、いまや覇気と元気を失いつつあるのである。

都市の生命力と活力を支えるのは、為政者だけでもなければ市民だけでもない。両者が拮抗し得るエネルギーを持ち、互いに全力を尽くしてぶつかることのできる状態こそが都市の「元気力」を生み出すのである。だが神戸の市役所一家体制は翼賛体制化することによって、対抗勢力のパワーとエネルギーを吸収してしまった。このことは一時期的には「安定政権」と映るかもしれないが、中長期的には都市の衰退をもたらす原因以外の何物でもないだろう。

神戸空港問題に象徴される神戸市政の病根は、矢田市政の退場とそれを支えてきた市役所一家体制を刷新すること以外に摘出方法がない。それは、民主党の「政治とカネ」の問題が鳩山首相小沢幹事長の退陣によらなければ解決しないのと同じ構造である。神戸空港問題解決への道は、その背後の「戦後神戸市役所体制」の一掃に連なっている。(つづく)