「井手天皇」を引きずり出した検察審査会、(閑話休題、その2)

JR西日本福知山線脱線事故の解明のカギを握っているのは、いうまでもなく「井手天皇」こと、元社長・会長・相談役を13年間にわたって歴任した井手正敬氏であろう。井手氏は、国鉄民営化を強行した「3人組」の1人であり、国鉄時代には国労国鉄労働組合)を徹底的に敵視した幹部であったこともよく知られている。井手氏にとっては、国鉄合理化に対して反対闘争を展開する国労は不倶戴天の仇であり、「国労解体=国鉄民営化」だったのである。

1992年に2代目のJR西日本社長就任してからは、水を得たごとく超ワンマン経営者として辣腕をふるい、組織体質を「井手一色」に染め上げた。その組織体質とは収益至上主義の「儲け体質」といわれるもので、収益のためには安全も犠牲にして顧みない「安全軽視体質」と表裏一体のものであった。この体質は、井手氏が会長を退いてからも「院政」を敷くことで維持され、後継社長らが「井手路線」「井手商法」から逸脱することは許されなかった。

今回の福知山線脱線事故の直接的原因のひとつは、東西線開通にともなう尼崎駅における線路付け替え工事にあった。福知山線東西線に接続するため、旧来のゆるやかなカーブを急カーブの路線に切り替え、快速電車を導入したのである。しかし、この急カーブの走行をコントロールする新式の自動列車停止装置の敷設は、経費節減のため見送られた。その代わりに奨励されたのが、運転士や車掌に徹底的な労務管理を強いる「日勤教育」である。「井手路線」の真髄は、長年の国労対策の経験から生み出された「日勤教育」であったといっても過言ではない。

東西線の新設は、三田市宝塚市など神戸北部の郊外住宅都市と大阪都心を結び、さらには京阪奈丘陵に広がる関西文化学術都市まで延伸するという、京阪神大都市圏を横断する野心的な広域ネットワーク路線の開発事業であった。だが東西線は、長距離でありながら大阪都心を地下で経由するという路線であるため、快速電車や急行電車の投入による時間短縮と輸送力増強には限界がある。これをカバーするため、各駅での停車乗降時間を極限まで圧縮することが運転士や車掌に求められたのである。また東海道線東西線の乗換駅の尼崎駅では、東海道線の新快速電車との連絡がスムーズにいくように、厳密な定時運行が求められた。私は三田市宝塚市へ行くときはいつも尼崎駅で乗り換えていたが、当時の乗務員の緊張ぶりは忘れられない。(事故後、停車乗降時間は少し長めになった)

 かって経済学者の佐藤武夫氏は、著書『災害論』(1964年)の中で、災害を「人間とその労働の生産物である土地、動植物、施設、生産物が何らかの自然的あるいは人為的破壊力によってその機能を喪失し、または低下する現象」と定義した。そして災害が発生するメカニズムを「素因」、「必須要因」、「拡大要因」にわけ、災害は「この3要因が離れ難く連鎖的に結合した構造をもってあらわれる」と述べた。

今回の福知山線脱線事故においても、この分析方法は有効である。「素因」は、確かに死亡した運転士の制限速度をはるかに超える運転にあった。運転士は前の駅でオーバーランをして、いったんバックして乗客を降ろしたため、電車は大幅に遅れてしまった。運転士はその遅れを取り戻すためにスピードを出し過ぎ、カーブを曲がりきれなかったのである。だから直接の原因は、運転士の業務上過失致死・傷害だということになる。

しかし、なぜ運転士はかくも必死になって遅れを取り戻そうとしたのか。ここに「必須要因」としての無理な「定時運行」の実態が浮かび上がる。福知山線のダイヤは、競合する阪急線との乗客争奪戦のために時間短縮を繰り返し、乗務員に必要以上の過酷な緊張を強いてきた。それがいったんミスをすれば、容易にカバーできないような無理なダイヤとなり、そのことが運転士の取り返しのつかない大事故を生んだのである。

もうひとつの「必須要因」は、急カーブへの付け替えにともなう安全装置の欠如である。ゆるやかなカーブを急カーブに付け替えるのであれば、当然のことながら制限速度をオーバーした場合に急ブレーキをかける停止装置の設置が必須となる。だがこのことが「儲け体質」のために無視されたため、事故は起こるべくして発生した。

さらに「拡大要因」としては、乗務員たちに日頃から恐れられていた「日勤教育」がある。JR西日本労務管理は、乗務員がいったんミスをすれば職場を強制的に離脱させ、事故の原因や背景を客観的に分析することなく、当該乗務員の個人的責任を徹底的に追及するというものである。いわば事故やミスの責任を全て乗務員に負わせ、その背景にある組織体質や会社責任を免罪するシステムが「日勤教育」だといってよい。このような職場環境のもとでは、「ヒヤリハットの法則」が機能しない。現場の最前線にいる乗務員が事故の前兆である「ヒヤリハット」の局面に直面しても、それが自らの責任と受け取られる思うときは報告しないからである。そのような事態が確率的に事故につながり、大事故に結びつくことはいうまでもない。

もうひとつの「拡大要因」として考えられるのは、線路脇のマンションの存在である。電車が不幸にして例え脱線しても、もしマンションに激突しなければ、もっと犠牲者数を少なくすることは出来たであろう。私は調査不足なので現段階では確信を持って言えないが、線路際にこのような大規模な高層マンションが平気で建設されることには違和感を覚えずにはいられない。近代的な都市計画の観点からすれば、鉄道事故の危険予防の面からも、また騒音防止の面からも、鉄道線路からの一定範囲内は大規模なマンション等は禁止されて当然だからである。また、よもやこんなことはないと思うが、もしこのマンション用地が元は国鉄用地であり、国鉄の民営化にともなって清算事業団の資産として民間に売却されたものであるとしたら、JR西日本の責任は免れないことになる。

これら一連の事故原因の解明は、まさに災害構造全体の解明をまたねばならない。浅野弥三一氏をはじめとする犠牲者や遺族が2009年1月に井手氏ら歴代社長を告訴して以来、神戸地検は同年7月に山崎社長を除く歴代3社長を不起訴処分とした。しかし検察審査会は10月に歴代3社長に対して「起訴相当」の議決をし、地検が12月にふたたび不起訴処分をしたにもかかわらず、この2010年3月に「起訴相当」の議決を行い、4月23日に歴代3社長が強制起訴された。

強制起訴から2日目、事故から5年目の4月25日の追悼慰霊式には起訴された歴代3社長は出席したが、井手氏はJR西日本の幹部の再三再四の説得にもかかわらず、頑として出席を拒んだという。彼はこれまで遺族との会合や事故説明会に一切出席していないいわば「確信犯」である。この井手氏が検察審査会によって法廷に引きずり出され、公衆の面前で裁かれる日がついにやってくることは、せめてもの救いを感じさせる。

小泉構造改革によって民営化が強行されて以来、企業や組織の「社会的責任」や「公共倫理」も一挙に崩壊した。それを象徴する人物が井手氏であり、その社会的・公共的責任を追及する場が今回の裁判である。小沢幹事長の「起訴相当」と並んで、この2大裁判が今後どのように展開するかが、日本の民主主義の水準を測るバロメーターになることは間違いない。