「既存市街地・集落を基本にしたコンパクトなまちづくり」が復興計画の心臓部だ、岩手県山田町の復興計画を解剖する(5)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その12)

 山田町復興計画の白眉は、何と言っても「既存市街地・集落を基本にしたコンパクトなまちづくり」だろう。沿岸地域の既存市街地や集落のほとんど全てが漁港を中核にして形成された職住一体のまち(地域コミュニティ)である以上、これらの市街地・集落の再生を基本とした「地区別復興計画」は、山田町復興計画の“心臓部”だといっても過言ではない。

つまり「丘陵部の新たな開発等は必要最小限にとどめ、山田湾・船越湾を中心にしたコンパクトな暮らしやすいまちを目指します」という“現状復旧(+アルファ)型”の復興コンセプトが、「山田湾・船越湾及び周辺の山々の豊かな自然を活かし、海や山が近く感じられ、市街地・集落と海や山が一体となった美しいまちを目指します」という、地域の自然特性を活かした復興まちづくりにつながっているのである。

この復興コンセプトは、「漁港の選択と集中」という構造改革目標を掲げ、周辺一帯の小漁港を拠点漁港に集約・再編しようとする宮城県復興計画とは、あらゆる意味で対照的だ。集落・市街地が漁港をコアにして成立している沿岸地域において、数ある小漁港を一部の拠点漁港に集約することは漁港の後背地である集落や市街地の一大淘汰につながる。これは「復興計画」という名の“地域リストラ計画”でしかない。 
計画策定後に全世帯に配られた色刷り8頁の『山田町復興計画のあらまし』では、計画本文全体の4/5を占める総論部分や分野別計画が前半4頁分に圧縮され、後半4頁分が7地区の地区別復興計画に割かれている。このように、復興計画に関する町広報が住民にとって最も関心の高い「おらがまち」を中心に編集されていることは、町における地区別復興計画の位置づけの高さを物語るものであろう。

また地区別復興計画に関する冒頭解説も、地区別計画の性格や位置づけを住民にわかりやすく伝えるものになっている。つまり、現時点における地区別計画はあくまでも復興の方向性を示す「基本計画」であって、今後の「実施計画」においては関係者のさらなる協議と調整が求められること、また防潮堤など計画の前提にかかわる条件が変更されるときは、地区別計画の変更もありうることなどが簡潔に説明されている。この文章は地区別計画の趣旨や役割をよくあらわしているので、以下に再録しよう。

●地区別復興計画とは
「地区別復興計画は、被災した既存市街地や集落を対象にしたものであり、地区の被災状況や意見交換会やアンケート調査などで頂いた地区の方々の意見を踏まえて、町全体の復興の考え方との整合に配慮し、各地区の復興の方向性を示したものです。」

●復興の実現に向けて
「今後は、地区の方々との話し合いや関係機関との協議・調整を行いながら、地区ごとにより詳細な計画・設計を行うことになりますが、この地区別復興計画はそのためのたたき台となるものです。また、防潮堤の形状・構造など現段階では明確になっていないものについては、条件次第では計画が大きく変わる可能性もあることから、今後の課題として示しています。」

地区別復興計画は、「土地利用、交通体系、その他施設の方針」、「今後の課題」、「地区別復興イメージ」(復興計画図)の3項目にコンパクトにまとめられ、1頁2地区の割り付けでわかりやすく表示されている。最初に記されている大沢地区の場合を例にとると、方針部分では「大沢漁港は水産業の復興に不可欠な施設として現位置で再生する。隣接地は防潮堤整備を前提として水産加工施設等の立地を誘導する。国道沿道は沿道立地型の商業業務施設などを誘導する。居住地は防潮堤の整備を踏まえて浸水の恐れのない場所に確保する。避難路として低地部から高台に向かう道路を複数配置する。大沢小学校やふるさとセンターは地区のコミュニティ形成の中心施設として維持する」(要約)などの方針が箇条書きに記されている。

また今後の課題については、「防潮堤の形状・構造によって、背後の道路配置や土地利用、居住地の復興方針(現位置復興か集団移転か)が大きく変わってくるので、今後、県の防潮堤計画と十分な調整を行う。居住地の場合は関係権利者の意向を把握して復興方針を決める。より具体的な計画づくりに向けて、小さい単位で(住民の)意向を確認し調整を行う」(要約)などが併記されている。

 震災後の(唐突な)住民アンケート調査から始まった山田町の復興計画への取り組みが、10か月足らずで地区別復興計画にまでたどり着いたことは驚異という他はないが、この間に被災者の津波への恐怖や復興への意識はどのように変化してきたかを、住民アンケート調査結果などによって次回に分析しよう。(つづく)