野村総研(NRI)に“ハイジャック”された村井県知事、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(2)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その19)

野村総研(NRI)は、野村証券を母体とするわが国最初の民間シンクタンクであり、現在では資本金186億円、年間売上高3千数百億円、従業員数6千数百人を擁する巨大な財界系シンクタンクだ。NRIの「ニュース・リリース」によれば、同研究所は東日本大震災発生から4日後の3月15日、社長直轄で「震災復興支援プロジェクト」(プロジェクトリーダー山田澤明)を発足させ、「震災復興に向けた緊急対策の推進について」の提言を3月30日から5月19日の僅か2か月足らずの期間に、テーマごとに計11回も発表するという恐るべき機動力を見せつけた。

注目すべきは、震災発生約1カ月後の4月14日、「野村総合研究所宮城県の復興計画策定を全面的に支援」との声明が出されたことだ。NRIがなぜ宮城県の復興計画を全面支援するのか、その経緯や狙いはなにか。この声明には、その後の宮城県復興計画の展開を理解する上できわめて重要な内容が含まれている。以下、少し長くなるが紹介して解説しよう。

「株式会社野村総合研究所(本社:東京都千代田区代表取締役社長:嶋本正、以下「NRI」)は、宮城県の震災復興計画の策定に全面的に支援することで宮城県と合意しました。東北地方太平洋大地震で甚大な被害を受けた宮城県では、復興に向けて今後10年間の主要な取り組みや事業の実現に向けたロードマップを示す「震災復興計画(仮称)」を進めています。NRIはこれまで、宮城県知事の政策アドバイザーや、宮城県及び東北地方に関連する様々な調査研究プロジェクト業務等を通じて、宮城県と深い関わりをもっていました。その経験を生かして、NRIの「震災復興プロジェクト」の一環として、この度の「震災復興計画(仮称)」の策定を全面的に支援することに致しました。宮城県の復興計画策定に加わることで、より具体的な形で被災地域の復興に寄与して参りたいと考えています。」

「当該地域の復興にあたっては、単なる「復旧」ではなく、今後生じる様々な課題に対応した先進的な地域づくりに向けた「再構築」が求められています。現地の実態をしっかりと踏まえたうえで、NRIが保有する防災、地域開発、産業開発に関するノウハウを総動員することにより、今後の宮城県、さらには東北や全国の発展に資する住民志向、未来志向の計画づくりに、宮城県と一体になって取り組んでいく所存です(以下、略)。」

声明の前段では、NRIがこれまで東北地方をターゲットにして数々の調査研究やプロジェクトを進め、その中核である宮城県の「知事の政策アドバイザー」にまで食い込んでいることがサラリと述べられている。つまり宮城県の復興計画をはじめ東北地方の今後10年以上にわたる“震災ビジネス”、“復興ビジネス”をめぐる市場獲得競争において、NRIがすでに「他社の追随を許さない状況」をつくりあげていることを各界に宣言しているのである。

それではNRIがなぜかくも東北地方・宮城県をターゲットにするのか。その意図と経過については、この「宮城シリーズ」において今後順次述べていくことになるが、その背景には経団連経済同友会など財界が東北地方を“道州制導入”の先進モデルとして位置づけ、国の「国土形成計画」(2008年7月閣議決定)においても「東北圏広域地方計画」(2009年8月国土交通大臣決定)においても方向づけがすでになされているからだ。NRIは、このため一方では財界や国の意向を具体化するため様々な「東北プロジェクト」に取り組むとともに、一方ではそのためのキーパーソンとして増田寛也岩手県知事・元総務相を顧問に起用するなど(2009年4月就任)、着々とその陣容を整えてきたのである。

声明の後段が意味するものはさらに重大だ。宮城県の震災復興基本方針に関する最初の発表は、4月11日の『宮城県震災復興基本方針(素案)』である。素案は21頁の簡単なものだったが、その内容は4月14日のNRI声明と重なる部分が多く、宮城県素案もNRI声明も同一文書をもとに(あるいは同一人物の手によって)書かれたものではないかと推測される。

これは、宮城県素案のサブタイトル「宮城・東北・日本の絆、再生からさらなる発展へ」が、NRI声明の「今後の宮城県、さらには東北や全国の発展に資する住民志向、未来志向の計画づくりに、宮城県と一体になって取り組んでいく所存です」に相応すること。また、宮城県素案の4つの「復興の基本理念」のうち、2番目の「単なる「復旧」ではなく「再構築」」および3番目の「現代社会の課題に対応した先進的な地域づくりを目指す」が、NRI声明の「当該地域の復興にあたっては、単なる「復旧」ではなく、今後生じる様々な課題に対応した先進的な地域づくりに向けた「再構築」が求められています」に相応することでも確かめられる。

同時に注目されるのは、両者の内容の重なりだけではなく、発表された時期も重大な意味を持っているということだ。宮城県素案とNRI声明の発表は、国の震災復興政策の動きをつぶさに把握し緊密に連携して打ち出されていると考えてよい。両者が発表された4月11日、14日と国の動きを重ねてみると、4月11日は東日本大震災復興構想会議の開催が閣議決定され、同時に村井知事を含めた構想会議委員15名の名簿が公表された日、4月14日は第1回の復興構想会議が首相官邸で開催された日だ。NRIは国の震災復興に関する動向を全てキャッチしたうえで、「宮城県と一体」になって震災復興計画の策定に乗り出したのである。

この事態は、村井知事が自ら2007年に策定した『宮城県将来ビジョン、2007〜2016』を継続せず(実質的には破棄して)、「単なる復旧ではなく再構築」・「現代社会の課題に対応した先進的な地域づくり」を掲げた『宮城県震災復興基本方針(素案)』に乗り換えた経緯と背景を如実に物語るものだ。言葉を換えて言えば、村井知事は、東日本大震災に便乗して東北改造を目論む財界とそれを実行するNRIに“ハイジャック”されたのである。(つづく)