震災1周年の東北地方を訪ねて

道州制導入をめざして政府、財界・野村総研、村井知事が結ぶ“太い絆”、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(4)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その21)

東日本大震災からの復興、とりわけ甚大な被害を受けた東北3県の1日も早い再生を願うのはひとり日本国民だけではない。海を超えた数多くの国や地域からも、無数の人びとの深い思いが同じように寄せられている。その気持ちを象徴する言葉が“絆”(きずな)であ…

“財界による、財界のための、財界の地方計画”、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(3)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その20)

宮城県復興計画の性格をワンフレーズで言いあらわすとすれば、それは“財界による、財界のための、財界の地方計画”ということになるだろう。より具体的に言えば、「財界による=野村総研による計画策定支援」、「財界のための=東北州実現のための」、「財界…

野村総研(NRI)に“ハイジャック”された村井県知事、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(2)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その19)

野村総研(NRI)は、野村証券を母体とするわが国最初の民間シンクタンクであり、現在では資本金186億円、年間売上高3千数百億円、従業員数6千数百人を擁する巨大な財界系シンクタンクだ。NRIの「ニュース・リリース」によれば、同研究所は東日本大震災…

“日本型ショックドクトリン計画”が生まれた背景、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(1)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その18)

私が宮城県震災復興計画のことを初めてブログ日記に書いたのは、いまからちょうど1年前の5月13日と17日のことだ。タイトルは13日が「創造的復興という名の“道州制導入実験”に突っ走る宮城県震災復興計画」、17日が「“戒厳令”といったキナ臭さが漂う宮城県震…

本当の復興の議論が始まるのは復興計画が決まってからだ、岩手県復興計画からの教訓と課題(4)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その17)

前回説明した山田町の「地区別復興計画行政素案」に対する住民アンケート結果は、「行政案のいずれかに賛成」50.1%、「よくわからない」27.1%、「その他」2.7%、「無回答」20.2%という内訳だった。この数字(だけ)をみると、山田町が住民合意のもとに復興計…

行政主導の“スピーディな復興計画策定”は、かえって被災地域の復興を遅らせる、岩手県復興計画からの教訓と課題(3)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その16)

宮城県・福島県のこともそろそろ書かなければならないので(こちらの方が岩手県よりもっと複雑で深刻な事態に直面している)、岩手県に関する報告はこれぐらいして、最後の1、2回は山田町の地区別復興計画の見通しについて語ろう。 「山田町復興計画行政素…

「多重防御」型防災対策は、国土交通省の“省益”のために打ち出された、岩手県復興計画からの教訓と課題(2)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その15)

岩手県復興計画では津波対策の基本的な考え方として、「海岸保全施設の整備目標は過去に発生した津波等を地域ごとに検証し、概ね百数十年程度の頻度で起こり得る津波に対応できる高さとする」(第3章、復興に向けたまちづくりのグランドデザイン)としてい…

復興計画は、結局のところ防潮堤・地盤嵩上げ・高台宅地造成の“土木事業3点セット”に終るのではないか、岩手県復興計画からの教訓と課題(1)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その14)

以上、見てきたように、県や市町村の復興計画の策定現場では、岩手県のように復興理念として「暮らしの再建」と「なりわいの再生」が強調されているところでも、また山田町のように丁寧に計画策定プロセスが踏まれているところでも、結局のところ復興計画は…

津波対策から「復興パターン」は決まるか、岩手県山田町の復興計画を解剖する(6)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その13)

山田町復興計画の心臓部である地区別復興計画の基本方向が決まった。それは「既存市街地・集落を基本にしたコンパクトなまちづくり」というもので、中心には「漁港は水産業の復興に不可欠な施設として現位置で再生する」という“職の復興原則”が据えられてい…

「既存市街地・集落を基本にしたコンパクトなまちづくり」が復興計画の心臓部だ、岩手県山田町の復興計画を解剖する(5)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その12)

山田町復興計画の白眉は、何と言っても「既存市街地・集落を基本にしたコンパクトなまちづくり」だろう。沿岸地域の既存市街地や集落のほとんど全てが漁港を中核にして形成された職住一体のまち(地域コミュニティ)である以上、これらの市街地・集落の再生…

計画策定過程で“柔軟に変化発展する計画”はいい復興計画だ、岩手県山田町の復興計画を解剖する(4)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その11)

山田町の復興計画は、当初の予定通り2011年12月末に策定された。災害発生以来、わずか10か月足らずの“スピード策定”だ。ただし「計画」といっても、「構想計画」(問題解決への基本理念と政策の大まかな方向性を示したもの)、「基本計画」(政策・…

“津波への恐怖”を前提にした住民アンケート調査 で「復興への民意」を把握できるか、岩手県山田町の復興計画を解剖する(3)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その10)

山田町の復興計画策定においては、その節目々々で行われる「住民懇談会」と「住民アンケート調査」が大きな役割を果たしている。被災者や住民の意見・要求を聴き、それを復興計画に反映させる有力な手法として両者がフルに活用されていることは喜ばしいこと…

なぜ『復興に向けた基本方針』ではなくて、『復興計画策定に向けた基本方針』なのか、岩手県山田町の復興計画を解剖する(2)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その9)

周知のように、「地方分権」・「地域主権」を掲げながらも依然として中央集権国家の体質から脱しきれない日本は、世界に名だたる“計画国家”でもある。高度経済成長期には国も自治体も挙げて「開発計画」ブームに浮かれたかと思えば、その後不況期に突入する…

岩手県山田町の復興計画を解剖する(1)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その8)

岩手県内市町村の津波による犠牲者数の対人口比率は、大槌町(10.2%)、陸前高田市(8.3%)、山田町(4.6%)、釜石市(3.1%)の4自治体が沿岸12市町村のなかでも突出している。このうち陸前高田市と釜石市には昨年行ったが、大槌町と山田町へは前回も…

震災復興計画は「リアリズム」(被災地の現実を見る目)と「民主主義」(被災者の合意を尊重する心)がなければつくれない、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その7、地元紙「岩手日報」の記事から見えてくるもの(3))

一般的にいって「計画」(プラン)とは、(1)当面する問題の分析と把握にもとづき、(2)問題の将来方向を予測することを通して、(3)問題解決に必要な基本目標を設定し、(4)それに至る当面の目標を達成するために、(5)各種資源を効果的かつ効率…

震災復興計画の策定は「早ければ早いほどよい」とは限らない、復興計画は「復興統制計画」にもなり得るのだから、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その6、地元紙「岩手日報」の記事から見えてくるもの(2))

前回の日記で、災害復旧復興計画の要諦は、被災者が合意し易い方策や解決策をいかに速やかに見出すかにあると書いた。しかし今回、なぜその趣旨に反するような見出しをつけたのかというと、岩手県下の被災市町村の復興計画が県の方針(基本的には国の方針)…

復興3原則のなかで、岩手県民の願いは「暮らし再建」と「なりわい再生」で一致している、しかし「安全確保」では意見が分かれている、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その5、地元紙「岩手日報」の記事から見えてくるもの(1))

今回の東北地方調査で、地方紙・地元紙の存在がこれほど大切であり重要だと思ったことはない。現地でのヒアリング調査を進めるなかで問題意識が研ぎ澄まされてくると、それを裏付ける現場に行って当事者に会いたくなる。でもそれが出来るような時間的余裕や…

「安全原則」を頂点とするか、「暮らし・なりわい原則」を上位にするかで、岩手県復興計画はガラリと変わる、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その4、高台移転計画への疑問)

「安全原則」を頂点とするか、「暮らし・なりわい原則」を上位にするかで、岩手県復興計画の性格は大きく変わる可能性がある。というのは、岩手県復興計画の正式名称が「岩手県東日本大震災津波復興計画」とあるように、復興計画の最大の眼目が“津波対策”に…

“安全第一主義”の復興計画は正しいか、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その3、岩手県復興計画の場合)

前回でも述べたように、「安全の確保」「暮らしの再建」「なりわいの再生」を3原則とする岩手県復興計画は、被災者の生活再建と被災地の再生にとって緊急不可欠な復旧復興施策を集約した政策体系であり、東日本大震災復興計画の「モデル」ともなり得るもの…

岩手県はオーソドックスな「現状復旧復興計画」、宮城県は財界直轄の「日本版ショックドクトリン計画」、福島県は自治体の存亡をかけた「脱原発復興計画」、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その2、東北3県の震災復興計画の特徴)

今回の私の調査目的は、被災者や被災地の実態調査ではない。大げさに言えば、震災復興計画に関する幾つかの理論的テーマを設定して、それらをめぐる関係者とのやり取りの中から問題意識を具体的に掘り下げようというものだ。したがって、訪問先は県レベルの…

各県各様の被災地模様、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その1)

3月31日夜遅く、東北地方の調査から戻ってきた。約1週間の行程だ。震災後、私が最初の被災地調査に向かったのは昨年4月末、今から11か月前のことだ。当時はまだ東北新幹線が復旧していなかったので、福島空港から渋滞を極める東北自動車道を北上した…