2012-01-01から1年間の記事一覧

大義と必然性のない合併協議で紛糾した石巻地域合併協議会、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(3)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その37)

平成大合併における石巻市関連の各種記録(石巻地域合併協議会議事録、宮城県市町村課資料、日本都市センター合併情報など)を読むと、無理難題な広域市町村合併がいかに住民自治を侵害し、災害非常時における地域対応力を奪ってきたかがくっきりと浮かび上…

「みやぎ新しいまち・未来づくり」という“合併天国論”で市町村合併を誘導した浅野県政、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(2)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その36)

宮城県の地域構造は、仙台都市圏への「一極集中」という点で際立っている。戦後高度成長が始まる前の1955年、仙台都市圏はすでに県人口の39%(67万人)を占めていたが、その後の30年間で倍近い伸びを見せ、1985年には56%(121万人)に達した。2012年現在、…

なぜ、石巻市は“最大の被災都市”になったのか、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(1)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その35)

前回の岩手県シリーズでは、市町村レベルの復興計画の注目すべき事例として山田町の復興計画を取り上げた。山田町は平成大合併の大波にも呑みこまれることなく町政を維持し、また東日本大震災の復興に際しては高台移転計画偏重のきらいがあるとは言え、旧村…

広域連合は“民主党政権崩壊”とともに機能不全に陥るだろう、河北新報はいかに復興を提言したか(8)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その34)

河北新報の第6部シリーズ、現在進行中の「提言・東北共同復興債による資金調達」が6月20日から始まってから間もなくのこと、「東方広域連携、議論空回り、権限、宮城に集中することに警戒」と題する別の記事が掲載された(6月23日)。出だしが「東北6県の広…

“ショックドクトリン計画”の遅れに苛立ち、東北各県の県・市町村復興計画を冒涜する寺島発言、河北新報はいかに復興を提言したか(7)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その33)

河北新報「自立的復興へ東北再生共同体を創設」に関する第5部シリーズの最終回は、宮城県震災復興会議の副議長を務めた寺島実郎氏(日本総研理事長)へのインタビュー記事だった。「アジア視野に広域構想急げ」と題する寺島氏の発言はまさに“ショックドクト…

奈良県が参加拒否している関西広域連合は“砂上の楼閣“でしかない、河北新報はいかに復興を提言したか(6)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その32)

日本経済新聞(京滋版、2012年6月16日)の記事は、政府が6月15日の閣議において国の出先機関(国土交通省地方整備局、経済産業省経済産業局、環境省地方環境事務所)を2012年度中に地方移管する特例法案の閣議決定を先送りしたことを伝えるものだった。理由…

広域連合に反対する市町村の声を無視する一方的報道、河北新報はいかに復興を提言したか(5)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その31)

震災を契機に東北各県に「東北再生共同体」(広域連合)の創設を提言する河北新報は、関西広域連合の他、2010年10月に「九州広域行政機構(仮称)」の設立に合意した九州地方知事会、2012年2月に「四国広域連合(仮称)」の発足を目指すことで合意した四国知…

東北各県知事にそっぽ向かれた「東北再生共同体=東北再生機構創設」提言、河北新報はいかに復興を提言したか(4)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その30)

「東北が真の自立的復興を遂げるには、東北の域内で政治・経済が完結できる地域主権の実現が不可欠であり、そのためには6県を包括した広域行政組織「東北再生共同体」の創設が必要だ」と訴える河北新報の提言は、言葉こそ美しいが、第5部シリーズの取材記事…

事大主義の「東北再生委員会」ではなく、社内の「東北再生取材班」にこそ復興提言をさせるべきだった、河北新報はいかに復興を提言したか(3)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その29)

河北新報社は、今年元旦に3分野11項目の提言を発表して以来、社内に「東北再生取材班」を編成して全国に取材網を広げ、提言を実現するための課題や道筋を探ってきた。その成果は、これまで第1部「世界に誇る三陸の水産業振興」(10回、1月24日〜31日)、第2…

「東北の歴史」を学ばずして、どうして「東北の未来」(復興)を語れるのか、河北新報はいかに復興を提言したか(2)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その28)

河北新報社の11項目提言の連載は、「新たな東北、新たな一歩」というタイトルの序文から始まる。冒頭の一節は、「「戦後」に代わって「災後」という時代が開けようとしている。私たちは今、歴史の峠に立っている。東日本大震災からの復興を誓い、新しい東北…

「読者に寄り添う姿勢」から「東北地方をリードする姿勢」へ方向転換、河北新報はいかに復興を提言したか(1)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その27)

東日本大震災の発生以来、岩手県の「岩手日報」と同じく宮城県においても「河北新報」が地方紙ならではの健筆をふるってきた。連載企画「証言3.11大震災」「ドキュメント大震災」「焦点3.11大震災」など、被災者の目線に立って未曽有の災害を記録・…

不発に終わった“震災復興税”と“東北州”の策動、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(9)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その26)

復興構想会議の委員15名がどのような基準で選ばれたのか、私は知らない。しかし、そのなかで本当の意味での発言権を持つのは、被災3県の知事であることはいうまでもない。選挙で選ばれた知事は、被災者・被災地の声を文字通り代表する政治的正統性を体現して…

菅政権の“延命手段”に利用された東日本復興構想会議、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(8)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その25)

いまから思えば、東日本復興構想会議は菅首相の“延命手段”のひとつにすぎなかったということであろう。もっと有体に言えば、当時の「菅降ろし」の嵐の中で「死に体」状況に陥っていた菅政権が、不遜にも東日本大震災を奇貨として利用し、絶体絶命の危機を乗…

県の震災復興会議には被災市町長を締め出しながら、自分自身は国の復興構想会議で「被災県代表」として大活躍した村井知事の自己矛盾、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(7)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その24)

「県が国に先んじて計画を作り、策定の過程で次々と国に対して提案する」という役割(作戦命令)を与えられた村井知事は、復興構想会議の第2回会議(4月20日)から第9回会議(6月11日)まで毎回資料を提出し、「国をリード」する勢いで大活躍する。その資料…

東日本大震災復興構想会議において政府・財界が村井知事に課した“作戦命令”、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(6)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その23)

国の復興構想会議において野村総研の名前こそ表に出ることはなかったが、日本経団連・経済同友会・日本商工会議所などの経済団体代表が第3回会議(4月30日)に招致され、それぞれの公式見解を発表している。なかでも経済同友会の『東日本大震災からの復興に…

村井知事は(自著出版で)なぜ野村総研との関係を隠すのか、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(5)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その22)

自治体首長が在任中に自著を出版するのは並大抵のことではない。その暇もないほど多忙な公務に忙殺されるためだ。また同時進行形の業務や行動に対して首長自らがその全容を把握しかつ客観的に評価することは、余程の卓越した人物でなければ難しい。多くの政…

道州制導入をめざして政府、財界・野村総研、村井知事が結ぶ“太い絆”、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(4)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その21)

東日本大震災からの復興、とりわけ甚大な被害を受けた東北3県の1日も早い再生を願うのはひとり日本国民だけではない。海を超えた数多くの国や地域からも、無数の人びとの深い思いが同じように寄せられている。その気持ちを象徴する言葉が“絆”(きずな)であ…

“財界による、財界のための、財界の地方計画”、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(3)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その20)

宮城県復興計画の性格をワンフレーズで言いあらわすとすれば、それは“財界による、財界のための、財界の地方計画”ということになるだろう。より具体的に言えば、「財界による=野村総研による計画策定支援」、「財界のための=東北州実現のための」、「財界…

野村総研(NRI)に“ハイジャック”された村井県知事、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(2)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その19)

野村総研(NRI)は、野村証券を母体とするわが国最初の民間シンクタンクであり、現在では資本金186億円、年間売上高3千数百億円、従業員数6千数百人を擁する巨大な財界系シンクタンクだ。NRIの「ニュース・リリース」によれば、同研究所は東日本大震災…

“日本型ショックドクトリン計画”が生まれた背景、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(1)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その18)

私が宮城県震災復興計画のことを初めてブログ日記に書いたのは、いまからちょうど1年前の5月13日と17日のことだ。タイトルは13日が「創造的復興という名の“道州制導入実験”に突っ走る宮城県震災復興計画」、17日が「“戒厳令”といったキナ臭さが漂う宮城県震…

本当の復興の議論が始まるのは復興計画が決まってからだ、岩手県復興計画からの教訓と課題(4)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その17)

前回説明した山田町の「地区別復興計画行政素案」に対する住民アンケート結果は、「行政案のいずれかに賛成」50.1%、「よくわからない」27.1%、「その他」2.7%、「無回答」20.2%という内訳だった。この数字(だけ)をみると、山田町が住民合意のもとに復興計…

行政主導の“スピーディな復興計画策定”は、かえって被災地域の復興を遅らせる、岩手県復興計画からの教訓と課題(3)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その16)

宮城県・福島県のこともそろそろ書かなければならないので(こちらの方が岩手県よりもっと複雑で深刻な事態に直面している)、岩手県に関する報告はこれぐらいして、最後の1、2回は山田町の地区別復興計画の見通しについて語ろう。 「山田町復興計画行政素…

「多重防御」型防災対策は、国土交通省の“省益”のために打ち出された、岩手県復興計画からの教訓と課題(2)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その15)

岩手県復興計画では津波対策の基本的な考え方として、「海岸保全施設の整備目標は過去に発生した津波等を地域ごとに検証し、概ね百数十年程度の頻度で起こり得る津波に対応できる高さとする」(第3章、復興に向けたまちづくりのグランドデザイン)としてい…

復興計画は、結局のところ防潮堤・地盤嵩上げ・高台宅地造成の“土木事業3点セット”に終るのではないか、岩手県復興計画からの教訓と課題(1)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その14)

以上、見てきたように、県や市町村の復興計画の策定現場では、岩手県のように復興理念として「暮らしの再建」と「なりわいの再生」が強調されているところでも、また山田町のように丁寧に計画策定プロセスが踏まれているところでも、結局のところ復興計画は…

津波対策から「復興パターン」は決まるか、岩手県山田町の復興計画を解剖する(6)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その13)

山田町復興計画の心臓部である地区別復興計画の基本方向が決まった。それは「既存市街地・集落を基本にしたコンパクトなまちづくり」というもので、中心には「漁港は水産業の復興に不可欠な施設として現位置で再生する」という“職の復興原則”が据えられてい…

「既存市街地・集落を基本にしたコンパクトなまちづくり」が復興計画の心臓部だ、岩手県山田町の復興計画を解剖する(5)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その12)

山田町復興計画の白眉は、何と言っても「既存市街地・集落を基本にしたコンパクトなまちづくり」だろう。沿岸地域の既存市街地や集落のほとんど全てが漁港を中核にして形成された職住一体のまち(地域コミュニティ)である以上、これらの市街地・集落の再生…

計画策定過程で“柔軟に変化発展する計画”はいい復興計画だ、岩手県山田町の復興計画を解剖する(4)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その11)

山田町の復興計画は、当初の予定通り2011年12月末に策定された。災害発生以来、わずか10か月足らずの“スピード策定”だ。ただし「計画」といっても、「構想計画」(問題解決への基本理念と政策の大まかな方向性を示したもの)、「基本計画」(政策・…

“津波への恐怖”を前提にした住民アンケート調査 で「復興への民意」を把握できるか、岩手県山田町の復興計画を解剖する(3)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その10)

山田町の復興計画策定においては、その節目々々で行われる「住民懇談会」と「住民アンケート調査」が大きな役割を果たしている。被災者や住民の意見・要求を聴き、それを復興計画に反映させる有力な手法として両者がフルに活用されていることは喜ばしいこと…

なぜ『復興に向けた基本方針』ではなくて、『復興計画策定に向けた基本方針』なのか、岩手県山田町の復興計画を解剖する(2)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その9)

周知のように、「地方分権」・「地域主権」を掲げながらも依然として中央集権国家の体質から脱しきれない日本は、世界に名だたる“計画国家”でもある。高度経済成長期には国も自治体も挙げて「開発計画」ブームに浮かれたかと思えば、その後不況期に突入する…

岩手県山田町の復興計画を解剖する(1)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その8)

岩手県内市町村の津波による犠牲者数の対人口比率は、大槌町(10.2%)、陸前高田市(8.3%)、山田町(4.6%)、釜石市(3.1%)の4自治体が沿岸12市町村のなかでも突出している。このうち陸前高田市と釜石市には昨年行ったが、大槌町と山田町へは前回も…